菅首相が浜岡原発を止めたことについて、賛否両論あるようです。私はエネルギー政策や電力については全くの素人ですから、難しいことはわかりません。それらは専門家の方々にお任せしたいと思います。ただ、今回の決定に私は大きな不安を抱きました。
それはなぜかと言えば、明るい将来が見えないからです。
明るい将来が見えないのは20代の我々世代にとっては震災が起こる前から見えていないのですが、それ以上に今回の浜岡原発の停止で明るい将来が見えなくなりました。浜岡原発を停止するということは、ある意味原子力政策からの脱却を示唆していると言えるでしょう。原子力発電から脱却するのは別に反対はしませんが、じゃあ現在原子力で補っている分の電力をどこから補充するのか?という疑問が出てきます。
それに対する答えがまさにがっかりするもので、明るい将来が見えないものなのです。国・自治体のリーダー共に、不足する電力をカバーするための対策として、最も聞こえてくるのが「節電」なのです。例えば石原都知事は電力不足の解決策として、自動販売機の撤去やパチンコ店の閉店を提案しました。自動販売機やパチンコ店は今必要ないから節電のために撤去・閉店したほうが良いという意味合いでしょう。これは短期的なこの夏の節電を考えての発言だったかもしれません。しかし、大阪府の橋下知事までもが節電を唱え始めました。しかも浜岡原発を止めるために関西で節電しようと呼びかけたのです。これは長期での電力不足に対して、節電で対応しようと言っているに等しいと思いました。
橋下知事の提案はつまり、「今後原子力発電所を廃炉していく過程で、電力が足りなくなる。その分は節電で補おう」と言っているに等しいでしょう。私はこの発言を聞いて本当に将来に不安を覚えました。「電力消費を控えましょう」と、数十年はかかるであろうエネルギー政策の転換期間中、ずっと言い続けるつもりなのでしょうか?それともライフスタイルをオールウェイズ三丁目の夕日の頃に戻そうというのでしょうか?「節電しよう!」というリーダーの元で、どれだけの人が明るい将来を描けるのか、大変疑問です。
赤木智弘さんのつぶやきはこの原子力発電からの転換に、非常に大きな示唆を示しています。電力を反原発に変更すること、そのしわ寄せは絶対に弱者に寄ってくるというのは私も同意見です。もしエネルギー転換ではなく、原発分の電力を節電で補おうとした場合、そのしわ寄せはどこに寄ってくるでしょうか?工場やオフィスでの節電が、業績低迷を呼び、そのしわ寄せは非正規社員や若者・女性にやってくるのではないでしょうか。そこに非常に大きな不安を感じたのです。
脱原発で私は構いませんが、脱原発だけでは若者は明るい将来を描けません。そして脱原発で不足する電力を国民の節電で賄おうとしている国に、若い人たちは魅力を感じないでしょう。節電ではなく、もっと明るい未来が描ける電力対策を切望します。節電で対応するということは街を暗くするだけでなく、若者の将来も暗くするものではないでしょうか。
今回のアゴラでの募集内容とは少々違いますが、ご了承ください
コメント
節電では… 暗くならないと思いますよ。メンタルな問題ですから。暗いなかでも、笑うしかない状況にいかにもって行くか。
この指とまれ! という人が出てこないこと。
いや、たくさんおられるのですが、
皆がそれぞれ、俺の指、俺の指、俺の指にとまれー
と収拾がつかなくなっていること。
ではないかと。
おかしなロジックが紛れ込むのは仕方ないとして…
「あー、そこの、このサイドからの切り口は、おいらがフォローするわー このオプションを踏まえてアイデアを膨らませてくれー」
というような寛容と、
「あぁ、そのオプションもありだよなぁ」
という当事者の謙虚さ、
正式なアイデアになる前段階の信頼感が希薄なことが、暗さや、萎縮の原因としてあると思います。
信頼があるからこそ、イノベーションの種となるような暴論、真剣な思いつきを発することができる。
孫さんがこの指とまれとあげてくださったのですから、皆が集える場にすべく盛り上げていくのもアリであるはずです。
脱原発の側が、まず
「三丁目の夕日、いや江戸時代に戻ろう。小国寡民、自然に帰れ」
なのか
「太陽電池とかを本気で推進すれば、今までどおり便利な生活はできる、原発も石油もなくても」
なのか、まずそれをはっきりして欲しいものです。
反原発を主張するなら、それを明言するのが先でなければ。