東日本大震災から2ヶ月以上が経過して街角では落ち着きを戻していますが、日常でも原発事故と特にテレビに代表されるマスメディアの報道のあり方について、日常的な話題として取り上げられる機会が増えました。
「震災とメディア」に関しては色々な角度で触れられていますが、業界の歴史や商慣行などを調べますと、社会的な批判が強まるにつれて「電力」と「電波」(特に民放テレビ局)の世界が似ていることに気づきましたので、その類似点と相違点を触れていきたいと思います。
こうしたオピニオンサイトでは、しばしば電力では自由化・メディアでは記者クラブ問題が取り上げられています。ところがこうした批判は当たっていますが必ずしも本筋ではありません。電力自由化は卸売市場など形の上では行われていますが十分に機能していませんし、記者クラブ問題も例えば東電会見のようにオープン化されていても、終わりのぶら下がり取材でのねた取りなど新たなインナーサークルができてしまえば、同じことでもあります。
逆に、電力会社の地域独占とテレビの電波利権がより敏感になっていますが、今後は電力ではスマートグリッドや再生可能エネルギーの可能性と省エネで、テレビでは電波の問題に加えて番組制作と配信の分離と、インターネットなどストリーミング放送の増加など、技術革新と利用者・視聴者による価値観の変化によって今までのあり方が揺らいでいることは確かでしょう。
石川 貴善(アゴラ執筆メンバー)
ブログ http://itsolution01.blog34.fc2.com/
Twitter @ishikawa_taka
コメント
電力、放送に加えて通信も同じですね。
通信の場合は地域独占ではありませんが、
「独占」業者・「何重もの下請」は存在します。
NTT関連の業者は、通信、設備ふくめて数社
しか存在しません。もちろん、官僚とおなじく、
発注者-受注者間で「天下り」が存在します。
昨日までの上司が取引先の営業部長になったり
します(あるいは場合によっては社長になった
りします)。文字とおり昨日までの上司が、です。
こんな状態ですから、受注者に利益-不当に
高い利益をだす人間が「評価が高い」社員です。
地域ではうまく利益供与をする人間、中央では
電力・放送と同じく、ロビー活動ができる人間が
優秀なわけです。
中央官僚による計画経済・社会主義・中央集権
国家である日本の象徴の三分野でしょう。
このような状況がいったいいつまでるづくのか。
官から民へ、政治主導など、国民が期待した
キャッチコピーはことごとく裏切られました。
いったいどうなるんでしょう・・・。
>(特に民放テレビ局)
これは間違いですね。むしろ民放じゃないTV局のほうが電力会社に似ている面もあります。
それは子会社をたくさん作ってOBを就職させ(つまり天下り)、本体の利益を付け替えしているってことですね。
過剰利益は天下り人件費に消費され、本体の大儲けを隠しているというわけですな。
不必要な事業は山のように有りそうな気がします。
電気料金も国際価格の2倍程度だし、もう一つの放送の方の公共料金っぽい性格の料金も、視聴者規模から言えば現状の半額以下が適正のような気がしております。
やはり何らかの市場メカニズムが必要かと思われます。