今回の不信任騒動は一体なんだったのだろうか。あんなことをやっている余裕があるのだろうか。国民の多くは、与党だろうと野党だろうと構わないと思っている。ただ、被災地の復興に尽力して欲しいと願っているのに、それが伝わらないのだろうか。そして、多くの人が身を削って出した義援金は一体いまどこにあるのだろうか。
そんな中、国家公務員の給与を削減する法案が閣議決定され、今国会に提出されるようである。公務員には争議権が与えられていないため、本来公務員の給与は人事院勧告に基づいて決められるのであるが、今回は被災地支援のためということで異例の労使の交渉により決められたようである。この決め方がどうかという問題もあるが、被災地のためということであれば公務員として道理にかなったことではあると思う。
私は地方公務員であり、まだ直接的に給与削減という話にはなっていないが、これまで地方公務員の給与が国の動きに準じてきたこと、それからこの災害の状態を考えれば、地方も同じような流れになるだろうと思っている。しかし、疑問であるのが、国の場合職員の給与の削減が被災地支援と結び付きやすいのに対して、地方の場合、職員の給与を削減したところで、もともと被災地の中心である東北に資金を提供していたわけでもなく、そのルートもないため、果たして給与削減と被災地支援に直接の関係があるのかということである。
一つ考えられるのが、地方交付税である。被災地に渡す交付税が増える分だけ、その他地域の交付税が減らされるから、職員の給与削減となるという論理であるが、これはあまりに消極的であるし、現在の政府の対応を見る限り、本当に被災地のために削減した給与が役立てられるのかとの疑問が残る。この疑問を拭えないまま、国の給与削減に地方が準じれば、結果職員の士気の低下と、新規採用者の質の低下を招くだけである。
自治体の長の方々にお願いしたいことは、職員の給与を削減するのであれば、交付税が削減されたからなどと消極的な理由からではなく、積極的に被災地のために使って欲しいということである。難しく考えずに、ある被災した自治体に「直接」手渡せばいい。全被災地に平等に配分しようなどと考えなくてもいい。被災していない自治体の方が、被災した自治体よりも多いのだから。平等や公平、規則など難しく考え過ぎた結果が義援金なのである。
直接自治体から自治体へ支援金を渡す、これが結局一番被災した自治体のためになるし、支援金を提供した職員の感情も救われるのである。こうした自治体相互の結びつきは地域主権の流れにも適っており、これからの協力関係の基礎ともなるのである。
(加藤 俊介 地方公務員)
コメント
公務員の方が,センシティブな問題について,実名で論じたことは評価に値しますが,その内容に関しては,問題外です。
今回,地方公務員の給与を国家公務員のそれに準じてカットすべきか否かについては割愛しますが,仮にそれを肯認すれば,貴殿が否定する地方交付税の削減を通じたスキームにより被災地を支援するよりほかありません。
貴殿が,交付税の削減を通じた被災地支援よりも,地方自治体の自主性を尊重した被災地支援の方が望ましいと考える理由は,以下の2点です。
①「現在の政府の対応を見る限り,本当に被災地のために削減した給与が役立てられるのかとの疑問」
②前者のスキームは「消極的」
①について
国民は,国会議員及び霞ヶ関を信用していませんが,それ以上又はそれと同等に地方自治体のことを信用していません。現状認識が甘いのでは。交付税を分捕るだけ分捕った後,前言を翻し,職員給与削減は撤回する疑念さえ抱きますよ。
「ある被災した自治体に「直接」手渡せばいい。全被災地に平等に配分しようなどと考えなくてもいい。」と仰いますが,その分配先を決めるのは,全国民から選ばれた国会議員であって,あなた方ではありません。これに対して,「政治家は信用できない。霞ヶ関も同様。したがって,交付税を減額せず,(政治家よりも霞ヶ関よりも信頼できる)地方自治体に分配先を決定させるべきだ」などと,意味不明なこと言っているのが,貴殿です。
つづき。
②について
「交付税の削減=給与の削減」→「霞ヶ関の予算増加」→「被災地支援予算増額」というプロセスを経るよりも,「交付税は維持,しかし,前者のスキームが選択された場合に削減されていたはずの交付税相当額は被災地に寄付」→「被災地支援予算増額」というプロセスを経た方が,霞ヶ関による差配が割愛される分だけ,地方公務員の方にとっては,士気が高揚するでしょう。
しかし,なぜ,国民の税金を,地方公務員の士気高揚のために使用しなければならないのですか?全国民から徴した金銭(交付税)で自分達の給与を填補させることが地方公務員にとって神聖不可侵な権利であれば,貴殿の仰ることは論理的には筋が通りますが・・・
あの~~この御仁は、被災地仙台やその周辺の避難所に一度でも泊まったことがあるのだろうか。「あの日」の周辺で・・・「衣」「食」住「医」とてもとても人間の住める場所ではなかった・・やすらぎとか、感情的な部分は非常時で仕方なかったとしても。誰が運営の大きな責任を課せられるのだろう・・この御仁の外に、公務員でなくともりっぱに「公務」を果たしている方々は、この被災地で不思議と絶える事はない。政治不信=国家公務員不信=地方公務員不信であって、それ以上でも以下でもない。国家公務員が二割削減なら、おれたちは三割、いや五割、いやいやすべてを地方の復興の日まで捧げる・・自ら捧げるという、度量が何故提案されないのだろう・・・バラバラになったアラハマ・ユリアゲ・是非とくとご覧になれ。あのガレキ都市のどこから税金なんて発想が沸き上がるのだろう・・