正解のない人生を生きるということ:これからの日本と世界

松岡 祐紀

日本の若者のあいだでは「やりたいことが見つからない症候群」というものが、未だに蔓延しているらしい。3、4年前にとある音楽評論家が人気バンド・ミスター・チルドレンを「自分を探して、15年。いまだ、見つからず」と評していたことを懐かしく思い出す。

音楽をやって、日本でトップバンドになっても、まだ探したいものは見つからないのだから、ただ何も考えずに他人の真似をして生きても何も見つからないだろう。

「何か」が自分の人生を変えてくれるという当てのない希望、それがこの病気の根本的な原因のような気がする。自分を完全に満たしてくれる何かなんて、そもそも本当にあるのか?完全に満たされた人生なんてものは幻想で、結局は人生、「そこそこうまくいけば、めっけもの」ではないのかと思う。


もし、自分が「あなたが本当にやりたいことは何か?」と訊かれたら、答えられないだろう。その時々に自分がベストと思う決断を下すことにしか興味はない。これからやることよりも、今何が出来るかを考えたい。

今、日本を変えたいとか世界を変えたいとか一ミクロンも思わないが、自分が死んだ後には、一ミクロンくらいはより良い世界を残したいと思う。

本当にやりたいことが見つかったと仮定して、それに心底打ち込んで、すべてを注ぎ込んで、何かを成し遂げたとする。それは本当に素晴らしいことだと思う。でも、ただそのような人生だけが、成功した人生というわけではない。

誰もが血反吐を吐くまで走り込んで今では世界一のサッカークラブ・インテルでプレーするようになった長友佑都選手のようになれないし、ビル・ゲイツやスティーブ・ジョブズのようになるのはほとんど不可能に近い。だからと言って、それ以外の生き方が失敗かというと、そうではない。

「いい大学に入って、いい会社に入れば幸せな人生」というロールモデルが崩れた今、日本もようやく多様な価値観を認める下地が出来つつある。本当にやりたいことなんて見つけられなくていい。ただ常に「何か」をやり続けることが一番重要だ。人生に正解はない。より正解に近い無数の回答があるだけだ。それを正解とするか否かは、自分自身で決めればいいのでは?

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