くどいようだが「博士はいらない」は間違いだ

小幡 績

いらないシリーズで本を出しそうな勢いの井上氏だが、それにあやかって、私もしつこく毎回反論してみたい。

井上氏の議論は、学校教育への否定論だ。

私の反論の要点は、前回の医学部はいらないと同じであるが、問題は、井上氏にとどまらない。日本国民全体の学校教育に対する不信感、あるいは、そもそも学校なんて役に立たないという認識がある。

これこそ誤りだ。


学校教育はきわめて重要だ。

博士課程に絞って議論を行えば、そこには師弟関係および若手研究者の場がある。

博士課程の学生は、米国では研究者として扱われ、学生とは思われない。

そして指導教員も、最後のじっくり自分のためだけに時間を使え、いい研究をじっくりできるチャンスだ、という認識の下、最高の環境を与えてくれる。

この時期ほど、研究者として重要な時期はない。

それを要らない、といってしまうのは非常に危険だ。

米国の良い環境の大学と、日本の大学の差、これまでの環境の差によるものなのかもしれない。

そうであれば、博士課程をなくすのでなく、良い博士課程を作ることが必要だ。

一般の大学教育への認識も同じだ。今の日本の大学教育がだめなだけで、大学教育は初等教育の次に重要であるし、非常に役に立つ。企業内教育が有益であったとしても、それは大学教育が無駄であることを意味しない。

この認識を改めない限り、学問研究の成果を幅広く社会に役立てることができないまま、日本はますます遅れていくことになるだろう。