総合CPIとコアコアCPI(補足)

池尾 和人

先日、「総合CPIとコアコアCPI」と題した記事を書いたけれども、その後でセントルイス連銀のJ・ブラード総裁の講演「Measuring Inflation: The Core is Rotten(インフレの測定:コアは朽ちている)」(PDF)をみつけた。この講演においてブラード総裁は、FRBはコアコアCPIを重視するのを止めるべきだと主張しているので、簡単に紹介しておきたい。


そうした主張をするにあたってブラード総裁は、食料品とエネルギーの価格を除いた米国型のコア消費者物価指数(ここでは、コアコアCPIと呼ぶ)の重視を正当化する主要な議論を取り上げて、それらが必ずしも妥当なものではないことを論じている。取り上げられている議論は、(1)「乱高下」の議論、(2)「予測」の議論、(3)「相対価格」の議論、および(4)「粘着的価格だけの安定化を図るべし」との議論の4つである。

詳細は原文に当たられたいが、(2)の議論は、まさに先の記事でコアコアCPIを重視する論拠としてあげたものである。すなわち、「生活に直結しているのは総合CPIの動きであるが、先行きの物価の趨勢的な動きを判断するにはコア(コア)CPIの動きがより参考になる」という議論である。この議論に対して、ブラード総裁は次のように反駁する。

第1に、将来の総合CPIの動きを予想するのに、なにもコアコアCPIにだけ頼る必要はなく、もっといろいろな変数を考慮に入れて総合的に判断すればよい。第2に、過去の米国のデータからは、コアコアCPIがもっとよい予想材料だとは統計的に判断できない。例えば、ダラス連銀が公表しているトリム平均指数(注1)の方がコアコア指数よりも実績において優れている。

(注1)トリム平均指数というのは、上昇率の最も高い品目と最も低い品目の両端を取り除いて(トリミングして)平均を求めたもので、食料品とエネルギーの価格を含んでいる。

他方、標準的な(canonical)なニュー・ケインジアン・モデルにおいては、経済に非効率性をもたらす摩擦要因は「価格の粘着性」だけである。こうした前提に立てば、政策的には粘着的な価格にだけ対応すれば十分で、価格が伸縮的な財・サービスには関与する必要がない(それらは自由な動きに任せておけばよい)ということになる。こうした考え方に基づくのが、(4)の議論である(注2)。

(注2)岩本康志氏が、こうした論拠からコアコアCPIの使用を支持する立場を表明していたと記憶するが、氏のブログのどの記事かはちょっと分からなかった。
(追記)この記事でした。「中央銀行は伸縮的な価格を安定化させる必要はない。安定化を図ることは,逆に価格メカニズムを阻害して,効率的な資源配分の達成を妨げる。硬直的な価格だけに着目して,その安定化を目指すべきである。したがって,中央銀行は価格変動の激しい品目を除いた物価指数に着目するのがよいとされる。」

すなわち、伸縮的価格グループに属する食料品とエネルギーの価格は除いた指数をターゲットとするのが理論的には正しいとする議論である。こうした議論に対してブラード総裁は、その論理的な可能性は認めつつも、まだまだ一部学界内おける議論にとどまっており、一般的に受け入れられるものとはなっていないと否定的である。そして、総合CPIを正面から重視する立場に立つべきだと主張している。

ということで、先の記事の内容には(ブラード総裁の批判には応えきれない)かなり俗説っぽいところがあるので、頭から信じ込まないで批判的に受け止めて下さい。

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池尾 和人@kazikeo