3.11から半年

古川 賢太郎

東日本大震災から半年。9月11日がやってくる。この日はあの9.11から十年でもあり新聞は二つの話題で溢れている。この記事ではあの大震災に寄せて考えたことを、1)防災 2)震災の中での行動 3)震災直後 4)震災復興 5)将来のための震災への備え ということについて考えてみたい。


1)防災
今回の震災は激しい揺れがあったものの、地震自体による被害よりも津波による被害の方が大きかった。勿論、地震によって物が散乱したり、倒壊した建物もあったし、工場では地震によって数ヶ月にわたる操業停止に追い込まれたところもあった。ただ、それらの被害よりも津波による被害は激しく、死者行方不明者が2万人に及ぶ事態となった。この津波に対する備えはそれぞれの自治体をはじめとして準備されていたが、多くの場合では予想される倍以上の規模の津波によって被害を食いとどめることが出来なかった。

その一つに今回の福島第一原発事故があった。原発事故では事前に地震被害や津波被害の可能性が警告されていたが、東電や行政はそれを無視したという報道があるが、実際にそれらの報告は津波を伴わない今回の同規模の地震だったり、津波を伴うが発生場所は東海地方が想定されていたりと、「予見されていた」と主張するには的外れな指摘が多い。仮にそれが事実だったとして、多くの沿岸住民や施設に被害が出たことは、東電に限らず殆どの被災者にとって今回の津波は避けえなかったと言える。「防災意識の高さ」というのは実感をもって意識できる被害の大きさに従うもので、それはこの百年に起きた津波被害以上には想定できないということだろうと思う。その意味で防災体制には不備があったと言わざるを得ないだろう。

2)震災の中での行動
地震発生時の首都圏での状況について考えてみたい。地震発生直後、全ての交通機関が麻痺し、首都圏ではJRは翌日まで復旧しなかった。私鉄や地下鉄は深夜になって復旧したが、当夜は殆どの地域で公共交通機関が完全に麻痺した。激しい地震に見舞われたにも関わらず、建物の被害がなかったのは首都圏での地震による課題は火災と交通機関に集約されるのだということが証明された。夜通し歩いた人は多かったようだが、今回のように広範囲に交通機関が麻痺した場合に、都心のオフィスビルや施設に休憩所などの機能を果たすように取り決めるなどの必要があるだろうと思う。

津波に遭った地域では、その被害に大きな差が出たとことがあった。被害が大きかったところには回避行動において逡巡したり、みんなの意見を集約したり、事前の取り決めに従ったりというものもあった。我先に、自己判断で逃げ延びるということをした地域が被害が少なかったというのは、「天災においてはまず自分の身を守ることを優先する」という少しドライな考えが有効である事を示した。勿論、事前に被害の想定が出来ていて、対応策が十分取れてれば別だが、事前に分かることなど高が知れているのだから、最悪の事態を想定して自分の判断で行動することが大切なのだ。

3)震災直後
震災直後に世界から寄せられた賞賛の声と国民を落胆させた政治・行政の体たらくは好対照であった。しかし、この対照的なものは同じ文化基盤から導出されているのではないかという考察を以前書いた(「一流の国民も、二流の官僚も、三流の政治家も同じ文化基盤から出現している」)。世界から集まった支援は、日本が世界に認められ、愛されていることを広く示した。その世界の期待に対して、日本はこたえる義務がある。

4)震災復興
震災復興は半年が過ぎても道半ばにも至っていない。被災の規模が大きく広範囲にわたっているため瓦礫の撤去すら終わっていない。更に復興を阻害しているのが世間に流布した「放射線デマ」だ。原発事故による放射性物質の飛散は、その実害がないことを専門家が指摘しているにも関わらず、マスコミや半可通な学者・実業家・政治家が騒いだことによって、被災地の生産物の受入拒否ということが起きている。農生産物に限らず、瓦礫の撤去ですら放射性物質を恐れて拒否される始末。京都の五山の送り火では被災地の松が受入拒否される始末

こういう風評被害は政府が率先して防いでいかなければいけない。また復興投資のメリハリについても政府は様々な決断をしなければいけない。それは本当に「復旧」することが良いのかということを含めてである。被害が大きい地域を瓦礫の撤去は進めるにしても国有地として買い上げて公園として整備して人が住まない地域にするとか、その土地自体を内陸地への防災地にするなどである。こういう決断は批判が大きいものとなるが、それを振り払って説得する力が復興には不可欠であろう。

5)将来のための震災への備え
防災(1)に戻っていくが、今回の震災を将来の備えとして生かしていく必要がある。ここには書かなかったが、首都圏でも激しい液状化の被害は広い範囲で発生している。住宅が傾いた中で生活している人は東北以外にもいるのだ。防災のために「堅固な土地」「堅固な建物」「堅固な生活インフラ」の整備は当然必要だ。幾ら備えていても、それを超える被害は発生する。

自然災害が発生したときに、その事態に対して、個人が・コミュニティが・企業が・自治体が・国が、どの様に行動するのかということを今日という日に考えてみることは必要だ。個人的には、住んでいるところと働いているところが離れているため、最悪の場合は数日間帰宅できないことを前提として、僕自身も家族も行動する様に決めている。また、沿岸部で働いているため、もしもの事態では高所へ逸早く逃げることも決めている。

家に帰れるまでは、そのときいる場所でボランティアをする。人間、体を動かすことが精神の安定に資することもある。最悪の場合は数十キロの歩きづらい道のりを歩かなければいけない。そのこと自体も考えないといけない。人はあまりにも広い範囲で行動するようになったことに対する備えをしていなかいといけないだろう。今年の夏の節電に伴う企業の在宅勤務などは「防災」につながるかもしれない。

6ヶ月が経った。

古川賢太郎
ブログ:賢太郎の物書き修行