本当の法学者がするべき仕事

山田 肇

日本学術会議法学委員会が2011年8月29日に『IT社会の法システムの最適化』と題する提言を出した。要旨は次の通りである。

>「新たな情報通信技術戦略」の実施に際しては、次の点を考慮すべきである。①IT社会のマクロ的把握(エネルギー政策、クラウドコンピューティング)とミクロ的把握(国民生活、個人情報等)のバランスを図るとともに、②短期的視点(震災対応も加えた、より緊急性の高い問題)と長期的視点(持続可能な安心・安全な社会の構築、それを支える教育の問題)を区別すべきである。そして、①②を踏まえて、東日本大震災の復興の要請から、緊急性を見直し、「戦略」中の優先順位付けを最重視しつつ、「国民本位の地域行政」という観点に徹して、本提言が各論で示した施策等を、費用対効果の高い形で行うべきである。

何が言いたいのだろうか。クラウドコンピューティングが「マクロ」で国民生活は「ミクロ」という視点からして、よくわからない。20ページを越える全体が悪文の連続で難解だが、伝わってくるのは「ITは使いたくない」という強い意思である。「5 『共通番号制度』についての再検討」「6 共通番号制度と個人情報保護」にはITに対する懸念が延々と列挙され、「7 IT社会におけるプライバシー権と不法行為法による保護」ではプライバシー権が強調されている。

「福島原発の絶望的な事故や最近のソニーの史上最大数の顧客情報漏えい事件のように、技術を過信することが取り返しの付かない過ちにつながることを肝に銘じるべきである。」とあったが、ソニーを福島原発と並べるのは、技術不信を煽るためとしか読みとれない。

個人情報を中央集権的に管理する「共通番号制度」は、民主党政権が唱える「国民が主役」や「地域主権」の政権公約に矛盾しないのか。日本国憲法第13 条〔個人の尊重〕や第22 条〔転居移転の自由、移動の自由〕をはじめとした各種の自由権の侵害につながらないのか。

上の文章は論理が飛躍しすぎだ。そもそも、共通番号制度は個人情報を中央集権的に管理するシステムなのか?

プライバシー権には「自己の情報をコントロールする権利」のほかに「自己の情報が保護されることを期待する権利」があるという。この「期待する権利」が法的に明確な概念であるとは、僕には信じられない。

もっと問題なのは、ITへの懸念をさんざん強調した後には、緊急対応を認める記述が続くことだ。

「共通番号制度は、大災害時に被災者救援・震災地復興に貢献する側面もある。」「しかし共通番号制度は、大災害時に被災者救援・震災地復興に貢献する側面もある。」「ただし、東日本大震災のような緊急時に、犠牲者の身元を確認するためにその所持していた携帯電話の契約者名を公表することは違法ではなく、不法行為には該当しない。」

情報流通を認めない方向ばかりでは批判されるから、「緊急時には寛容に」という一文を加えておこう、と考えたのだろうか。

提言には「宴のあと」事件に関する1964年の東京地裁判決が引用されている。これに象徴されるように、法学は過去の蓄積の上で一歩ずつ前に進む学問である。しかしITの進歩は社会を全く変えてしまい、漸進的にしか動けない旧来の法学では追いつけない。その結果、旧来の法学者は技術不信に陥り、役立たない提言を発表する。本当の法学者には、この十年間で全く変わってしまった新しいIT社会を規律する斬新な法体系を考えてほしいものだ。

山田肇 - 東洋大学経済学部