山本七平の話が続きますが、私の「朝日新聞の主張する『東條英機の論理』」という記事に、「竹林の国から:山本七平学のすすめ」というブログからちょっとおもしろいTBをもらったので、紹介しておきます。
これは、「是・非」論と「可能・不可能」論の区別ができないという日本的思考の弱点を、朝日新聞は未だに克服していないことを、みごとに証明した文章だと思います。この問題は、日本人にとっては実に深刻な問題で、山本七平氏は、「日本は、なぜあんな勝てない戦争に突入したんだろう」という疑問を解くそのカギは、実に、この「是・非」論と「可能・不可能」論の区別ができない日本的思考にあったということを、自らの体験に基づいて次のように指摘しています。
私だけでなく多くの人が、事ここに至った根本的な原因は、「日本人の思考の型」にあるのではないかと考えたのである。そしてほとんどすべての人が指摘したことだが、日本的思考は常に「可能か・不可能か」の探究と「是か・非か」という議論とが、区別できなくなるということであった。
金大中事件や中村大尉事件を例にとれば、相手に「非」があるかないか、という問題と、「非」があっても、その「非」を追及することが可能か不可能かという問題、すなわちここに二つの問題があり、そしてそれは別問題だということがわからなくなっている。
そしてそんなことを一言でも指摘すれば、常に、目くじら立ててドヤされ、いつしか「是か・非か」論にされてしまって、何か不当なことを言ったかのようにされてしまう、ということであった。」(『ある異常体験者の偏見』文春文庫版p.216)
『失敗の本質』でも指摘されたように、補給を考えないで「大和魂」ですべてを解決しようという発想が、戦死者の半分が餓死という愚かな戦争をもたらしました。これはおそらく物資の乏しい日本では、可能か不可能かを考えていたら戦争ができないからでしょう。つまり軍人にとっては、合理的な戦略を無視しないと戦争ができなかったのです。
そして今、同じような主張をしているのが反原発派です。宮台真司氏は、『原発社会からの離脱』で、日本から原発をゼロにして「自然エネルギー100%の共同体自治」を実現する運動をしているそうです。おもしろいことに、彼は山本七平を引用してこう語るのです:
先の敗戦に関する山本七平『空気の研究』をはじめとする数々の傑出した「失敗の研究」が明らかにしてきたように、行政官僚(先の大戦では軍官僚)の暴走を政治家が止められない理由として、「今さらやめられない」「空気に抗えない」といった言葉に象徴される独特の〈悪い共同体〉の〈悪い心の習慣〉があるのである。問題は先の大戦から間違いなく引き継がれている。原発政策の背後にも〈悪い共同体〉の〈悪い心の習慣〉が存在する。これを意識化できない限り、どんなに政策的合理性を議論しても、稔りはない。
山本が生きていたら、これを読んで爆笑するでしょう。これこそ「『是・非』論と『可能・不可能』論の区別ができない」日本軍の思考様式の典型だからです。宮台氏にとっては、政策的合理性より〈悪い共同体〉の〈悪い心の習慣〉を撲滅することが優先であり、それが可能なのか(経済合理的なのか)は問わない。彼は福島事故のあと放射能デマの発信基地となり、「エネルギーシフト研究会」なるイベントで菅元首相に「脱原発」宣言をさせました。
山本も指摘したように、日本軍の精神主義は、戦後は社会党の「非武装中立」などの空想的平和主義に継承されましたが、冷戦とともに崩壊しました。ところが昨今の原発問題では、こうしたユートピア主義が団塊の世代から亡霊のようによみがえり、戦争を知らない若者にも影響を与えています。
しかし歴史の教訓は明らかです。「政策的合理性」を考えないで「悪い共同体」を撲滅しようとしても、戦いに敗れて消耗し、混乱だけが残る。菅氏は辞任し、野田首相は脱原発を封印しました。飯田氏も最近は「私は反原発派ではない」と称して「自然エネルギー100%」はいわなくなり、ガスタービン・コンバインドサイクルを推奨しています。宮台氏や反原発派が「自分の中の日本軍」に気づくのはいつのことでしょうか。