「狂気大統領」の誕生を恐れる-共和党予備選に感ずる不安

北村 隆司

先週、久方振りにリンカーン大統領の眠るイリノイ州都のスプリングフィールドを訪れた。リンカーン博物館を訪ねて、あの有名なダグラス・リンカーン論争や幾つかのリンカーン大統領の演説文に触れて、当時の政敵から狂人扱いを受けたとは言え、リンカーン大統領の主張の格調の高さには感銘を覚えた。

然し、来年の大統領選挙を巡って行われている共和党の予備選運動を見ると、本当に狂気と言うべき人物が米国の大統領になる可能性がありそうで、背筋が冷たくなる想いである。

今の共和党には良識ある「穏健派」と保守派の論争は存在せず、右翼である事を証明する為の狂気な論争しか残って居ない。この傾向を助長しているのがキリスト教原理主義教会と茶会運動などだが、そのスポンサーには、今年の金持ちリストで兄弟並んで全米4位にランクされたコッチ兄弟やラスベガスの賭博場経営で巨万の富を築いて7位にランクされたエイデルソン氏を始めとする、超保守的な富豪が控えている(参考までにコッチ兄弟とエイデルソンの3氏の私財だけで7兆円に上る)。

兎に角、自分こそが最右翼である事を訴えるその異様さと常識の無さ、あまりにも酷い独善的な論争には呆れるしかない。ブリガムヤング大学を優等の成績で卒業し、自分の信仰するモルモン教の定める2年間の宣教活動を終えた後、ハーバードのビシネススクールとロースクールを同時に優等で卒業した億万長者のロムにー前マサチューセッツ知事までが、知事時代の政策をすっかり忘れ、右翼化競争に没頭する有様だ。

共和党の世論調査でトップ占めているペリーテキサス州知事と3位につけるミシェル・バックマン下院議員は、共に天地創造説の信奉者で、地球温暖化や温暖化ガスなどは左翼の陰謀だと主張して憚らない。中央銀行有害論でもこの二人は一致している。

ペリー、バックマン両候補に共通するもう一つの問題に、米国の社会保障制度はねずみ講に等しいと主張したり、スタンダード・アンド・プアーズ(S&P)の米国債格下げは、議会が債務上限を引き上げたからだという事実誤認や虚偽の発言を繰り返す癖がある事だ。

共和党の大統領候補を決める予備選挙は、最初に結果が出るアイオワ州党員集会や早期に行われるニューハンプシャー州やサウスカロライナ州のような保守的な州での予備選挙で勝てば、その後の争いを有利に展開することが出来る。これも、候補者の保守指向を強める一因となっている。

これ等右傾候補が異口同音に唱える「補助金反対」の最大の受益者が、彼らの支持基盤である農民、軍事産業、エネルギー産業とウォールストリート代表される金融業界であるのは、皮肉を越えて笑えぬ喜劇である。

小さな政府(更なる減税)、財政責任、憲法重視などの自分たちの信念を貫くという強固な意思で固まる茶会派の中心は、市民権法の成立以前の人種差別論者の支持基盤とほぼ重なる事も偶然ではなかろう。

その中で注目されるのが、一昔前まで反ユダヤの急先鋒に立っていた保守的キリスト教会が、最近は強硬なプロイスラエルに変身しており、何か戦前の軍国主義者が戦後はなだれを打って進歩派に転向した日本の学者達を思いださせる現象である。

今回の財政危機で、デフォルト(債務不履行)の主張を貫いたのは茶会運動の議員たちだった事実は、少なくとも下院では、茶会運動支持派が米国を左右する力を持っている事を示している。米国を左右すると言う事は、世界を左右できる事に通じ、その恐ろしさは、同じ狂気でも鳩山元首相の非ではない。これ等の狂信的な政治家に、原子爆弾のボタンを任せる事には不安を感ぜざるを得ない。

自浄能力が高い伝統と指導層に優れた人物の多いアメリカを信じている私だが、報道の過度な集約とロビーストの跋扈が進む最近の米国では、この伝統的な米国の強さが破壊されつつあるのではないかと言う深刻な不安に襲われてならない。