TPP 日本のデザイナーならば反対しないはずだ

小幡 績

TPPに反対する理由がわからない。

正確に言うと、まともに日本の政策を立案しようとするときにTPP交渉に反対する理由はない。

反対するのは、日本の政策を考える気がないが、ただ、おもしろい議論をしようとしている、議論を楽しんでいる人々だけだ。

反対して、その反対という行為から利権あるいは快楽を得ているだけだ。利権はまだいいが、快楽は許されない。しかし、この快楽に浸っているのが一部のインテリだ。


しかし、政府もいい加減だ。

TPP、このままでは議論の材料もない、とメディアに批判され、それが政治で増殖され、何かを出さなければいけない、ということになり、適当に試算を出している。

試算を出すことが政府として一番不誠実だ。

試算をした人たちは、いろんな前提を置いて、逃げ場を作って一応、数字を出せと言うから出しました、ということだろうが、当然、彼らも予想したとおり、メディアでは、その結果の数字、結論だけが一人歩きする。もちろん政治もその結論の数字だけを利用する。

そして、その数字は現実的に何の意味も持たない。

なぜなら、その数字は各種前提に基づき、その前提は、これからの交渉の中で決まってくるからだ。

TPPはまだ何も決まっていない。決まっているとしても、これから大きく変わりうる。参加国も固定ではないし、政治情勢、経済情勢によって大きく変わる。だから、数字を出せること自体が嘘であり、前提を置くことは、起こりえない前提を置いているから、その意味で論理学としては間違っていないが、政策の議論の基礎としては意味がないか、ミスリーディングだ。

そもそも、TPPに参加しようがしまいが、それほど致命的なことが起きるわけではない。韓国はTPPではなく、米国とFTAでもEPAでもいいから結ぶことは、どれがどういう違いをもたらすかは、やってみないとわからない。だからTPPに参加しないと日本は終わり、というのも嘘だし、参加すると農業が滅ぶ、というのも嘘だ。

問題は、TPPのような枠組みがきたときに、それを作る側、世界外交、経済秩序をデザインする側に回るか、決まった枠組みを受け入れ、消費させられる側に回るか、ということだ。

だから、言われるままにTPPに参加するとどうなる、という議論をしている段階で、だめな国、だめな政策立案者、アドバイザーなのだ。評論家なら何を言ってもいいが、少なくとも国のデザインをして、将来にプラスのことをしようと思うなら、TPPをデザインする側に回るというチャンスを捉えるべきだ。

そして、今の情勢ならデザインする側に回ることは可能だろう。

だからTPPに参加するべきでない、というインテリを自認している人々は無責任か、評論家に過ぎないのだ。日本が実際に良くなるかどうかよりも、議論としてかっこいいか、勝てるかどうか、楽しいかどうか、という観点で議論しているのだ。

自らの生活を守るために日本全体を犠牲にするのは賛成できないが、理解できる。快楽で議論する奴らは許せない。