放射線の生物学的影響ですが混沌としています。
すこし議論を整理したいと思います。
■疫学でわかっていること
比較的コンセンサスがある数字は「100mSv/yearでは0.5%のリスク」。この数字ですらまだ検証余地があると思いますが、必要なのは裁判記録などではなく、追加データでしょう。また、それ以下の線量では統計的に有意なデータが得られていません。つまり、100mSvより小さい年間線量のリスクは0.5%以下だという意味です。(低線量の論文があるにはありますがコンセンサスにはほど遠いです。)
■科学の役割
以前書きましたが、科学で言えることは「○○mSvであればリスクは○○だよ」というリスクの度合いだけです。そのリスクが安全か、安心か、危険か、怖いか?というようなことは放射線科学とは別の議論です。
■規準を100mSv/yearでよいか?
放射線科学ではとりあえず「100mSv/yearのリスクは0.5%」という数字を提示しています。あとはこの0.5%のリスクを受け入れるかどうかの議論だけです。低線量(100mSv以下)でのリスクの議論はここでは不要。つまり100mSv/yearにすべきかどうかは科学の議論ではありません。
■規準を10mSv/yearか、20mSv/yearか
疫学のレベルで言うと、10mSvより、20mSvのほうがリスクが高い証拠はありません。逆に20mSvより、10mSvのほうがリスクが高い証拠もありません。低放射線領域での放射線科学は仮説の話ばかりです。このあたりでは安全、安心に貢献するような情報はとても少なく、このあたりの議論はなかなか不毛地帯です。
■原発推進反対
放射線生物的影響を、原発反対賛成の道具に使うのは、どちらにとっても不利益になります。これらの議論は、たしかにリンクしているかもしれないですが、本質的には別の議論です。混合した議論は混乱するだけであり、あまりイデオロギーに振り回されていると、本当の問題まで議論が到達しない恐れがあります。とりあえず、これら二つの議論は分けて考えてはどうでしょうか?
■人や組織ではなく中身を議論しよう
「判決が~」「○○は組織が~」「あそこはお金を○○から貰ってる」「○○は専門ではない」など、人や組織を批判する、あまり本質的でない議論が多いです。人や組織を2色に分けることに意味はありません。本来、放射線生物的影響を議論するのであれば、どんなデータがあって、どんな検証が行われ、どんな結論が導き出せるかを議論するのが建設的な議論に繋がると思います。
■個人はどう行動すべきか?
低放射線が許せないのであれば政府や東電になにかを要求するか(要求が通るかどうか疑問だが)、自分で放射線から逃げる(食品を選ぶ、住む場所を変える)のが良いと思う。両方できないのであれば、残念だが受け入れるしかない。また、低放射線の影響を信じていないのであれば、福島産の高級な桃や米を格安で購入して、おいしい思いをするといいかと思う。
■莫大な費用をかけて除染すべきか?
池田信夫さんの記事、藤沢さんの記事、さらには小幡さんの発言「公務員も年金も、IMFに切ってもらった方がいい」などから共通してる見解としては「どうせ破綻するなら早いほうが良い。」というところでしょうか。実は莫大な費用をかけて除染を行うことは日本を早期に破綻させるチャンスかもしれません。ということで私は「いろいろ考えたけどやっぱり除染を支持します。」
最後に武田先生の言葉を引用しておきす
個人が自分の名前を示し、整理した結果や意見を公表し、それを多くの人が参考にする。内容を批判することがあっても、個人を批判するのを控える。そして、どんな結果をどんな人がまとめても、動揺もせずに、また自分のそれまでの考えと違っても、耳を傾ける社会だからこそ、このような論文がでます。(中略) 揚げ足を取ったり、個人の人格批判などをすると事実は少しずつ曇ってきます.
最近、この議論を見ていると悲しいです。
村上たいき(モンテカルロblog)