與那覇さんの問題提起は非常に大きいので、いろいろなインプリケーションがあります。重要なのは、近代=開かれた社会=西洋というポパーから丸山眞男に至るまで普遍的な図式を相対化し、中国という開かれているが近代化しなかった第3項を入れたことです。これは昨今の国家資本主義の見直しの中でいわれていることで、Jacquesのように「中国こそ21世紀の国家のモデルだ」という主張もあります。
これを図式的に整理すると、上の図のようになります。本源的な閉じた社会は、レヴィ=ストロースの描いたような「冷たい社会」ではなく、絶え間ない戦いの社会だったことが近年の研究で明らかになっています。多くの部族社会の対立・抗争の中から特定の部族が他を支配する形で成立する階級社会が、自然国家です。歴史上の国家の大部分は、こうした自然国家であり、現在でもアフリカなどの途上国にみられる混乱した国家はこのタイプです。
こうした閉じた社会が拡大して流動化するとき、二つの方向があります。一つは西洋のように閉じた社会を解体して個人に還元し、非人格的な法の支配で統治する分権国家(オープンアクセス秩序)ですが、もう一つは中国のように共同体から離れた個人を専制君主が統合する集権国家です。イスラムやロシアなども後者に近く、西洋のような国家モデルはかなり特殊な条件でしかうまく行かない。
ところが日本はどちらの道とも違って、本源的な共同体が自生的に成長してゆるやかに連合する形で大きな社会を実現しました。これは梅棹忠夫以来、共通に指摘されているように、日本が異例に平和だったために専制君主を必要とせず、中間集団の「生態系」が自然に成熟した結果でしょう。これを成り立たせたのは、世界最先端の文明国である中国から適度に孤立した絶好の地理的条件でした。日本は、いわばゆるやかなガラパゴスなのです。
しかしグローバル化は、否応なくこのガラパゴス的条件を破壊します。それは19世紀にマルクス・エンゲルスが予告した通りです。だからTPPに反対する保護主義は、日本人の正直な「古層」的感覚です。むしろ深刻なのは、これを乗り超えてグローバル化する側も野田首相のような「村長」型で、よくも悪くも超越的な権力をもつリーダーが出てこないことです。農協や医師会のコンセンサスを得ていては、グローバル化なんかできるはずがない。
実は與那覇さんの本も、タイトルとは違って日本が中国化するとは断定していない。私は日本は西洋にも中国にもなれないと思います。どっちつかずのまま老朽化した中間集団を温存し、高齢者の既得権を手厚く守り、若者を食い物にして江戸的システムを延命してゆくのでしょう。これは1000年以上つづく伝統であり、内発的に変えられるとは思えないが、幸か不幸かそれが続けられるのは、あと10年もないでしょう。