今回のダブル選挙、とくに市長選は異常でした。民主、自民から共産党にいたるまでの大政翼賛会ともいえる大連合軍を組み、平松候補を推し、さらに眉をひそめるような反橋下キャンペーンが展開されました。
それが逆に大阪維新の会を勢いづかせるひとつの流れを生んだのみならず、既存政党が、大きな変化を嫌い、政党としての理念、自らのアイデンティティすら捨て、談合したことは大きな時代の転換を象徴する出来事でした。
愛知、名古屋につづいて大阪ででた地方選の結果は、それぞれの既存政党に存在の根拠を問いかけるものです。もちろん大阪維新の会への期待もあったと思いますが、そんな深刻な存在理由の危機を抱えてしまったという自覚もないままに、ただただ橋下批判をヒステリックに叫ぶ既存政党の姿に有権者はノーをつきつけたのです。既存政党ではもはやなにも変えられない、なにも変らないという審判だったと思います。
政党の違いは、東西冷戦時代にははっきりしていました。保守と革新の違いでした。国家観の違い、思想による違いです。しかし冷戦構造が終焉するとともに革新の意味が失われ、実際それを追うように社会党も分裂また崩壊の道を歩みます。その後は、自由主義か社会民主主義的な政策を交えたリベラルかの違いに移って来ましたが、しかし、それも現実的な政策では、児童手当か、子ども手当かという違いが示しているように、程度の問題でしかなく、境界線は曖昧で、細部での政争になってきます。いまでは民主党と自民党との違いよりも、それぞれの党内での違いのほうが大きく、またその政党バランスの狭間で他の政党が生き残るという構図となっています。
国政での変化を求めて、民主党が政権交代を実現しましたが、結局はかつての自民党との違いをだせないままに、改革にも手つかずで、一方の自民党も、政策の違いを打ち出すことができず、民主党内閣の能力のなさや発言の揚げ足取りばかりで、ただただ批判しかできない政党という限界を見せ、支持率も回復できません。
政党に求められていることが変化しているにもかかわらず、それに答えられず、政治の液状化が起こっているのが現在だと感じます。
政党に求められてきていることは、いまでは、もはや意味をなさない思想ではなく、どのような国家を築くのかの理念や構想力、また体制やしくみの変革力に移ってきています。政治も産業と同じように創造力と変革力の時代に移ってきているのですが、その具体的な構想を提示できる政党が見当たらず、各論で賛成、反対を言っているに過ぎません。政治が調整型となり、また総評論家化といえるかもしれません。
TPPに賛成か、反対か。増税に賛成か、反対か。しかし、いずれもが、重い財政難を抱え、しかも途上国の追い上げで産業の優位性がさらに揺らぎはじめた日本にとって、日本が再び活力を取り戻す決定打ではないことを国民は感じており、将来に対する希望が見えないままです。
政党につきつけられ、また求められてきているのは、政策の各論ではなく、日本の将来への構想力なのです。最低限、またその必要条件は、日本が世界でどのような経済や産業のポジションを確立し、国民の所得をどのように高めていけるかです。経済力が低下していけば、それだけ、国民の生活を支える財政も厳しくなっていくことは誰が考えてもあきらかだからです。
増税は経済に影響するから反対だというだけでなく、どうすれば日本の経済が再生できるのかのビジョンを示さなければ、その主張にも説得力はありません。
大阪維新の会は、そのように既存政党の揺らぎはじめたなかで、具体的な「大阪都構想」のビジョンを打ち出しました。まだまだ中味がどうなっていくかはこれからの問題としても、大阪府民や市民は不安も抱えながら、もはやこれまでの個別の政策の改善では、どうにもならないと感じていることは間違いない事実です。改革を批判し、ゆるやかな政治の改善を訴えた市政では平松候補、府政では倉田候補が敗れたのは当然の結果でした。
鍵は、人材だと思っています。以前にも書きましたが、大阪は人材の流入、流出では、人材の赤字をつづけてきました。それが大阪の発信力をさらに失わせる結果となってきています。学生が就職するとそのかなり多くが東京勤務になるだけでなく、まわりの才能があり、活躍していた人たちも大阪を捨て、東京へと拠点を移していきました。
都市は人を集める力でパワーが違ってきます。広く海外からも優秀な人材が集まる魅力、大阪なら活躍でき、自らの力を試せるという都市にできるのかどうかです。人が集まれば資本も集まります。新しい産業も生まれてきます。
さて具体的に「大阪都構想」がどのような姿になっていくのかは、まだアウトラインしか示されていません。それこそ、民意に従って、「大阪都構想」をどう実りのあるものにしていくかについて、反橋下で戦った人たちも、ノーサイドの精神で、真剣に議論に参加してもらいたいと願っています。
自民党も、民主党も「大阪都構想」への傍観者ではなく、積極的にコミットしなければ、次回の選挙で致命的な打撃を受けることは目に見えるようです。