とにかく一流大学という弊害 --- 石水智尚

アゴラ編集部

私は小学生の頃、なぜ学校へ行かなければならないのか、その理由がわかりませんでした。義務教育だからと言われても意味がわかりません。意味がわからない勉強などしたくありません。中学生になって、「一流大学へ行き、一流企業へ入り、幸福な人生を送る」為だという大人が現れましたが、一流企業へ入ったらなぜ幸福になるのかは不明のままでした。だから学校の勉強は依然として嫌いで、SF小説や電子工作やアマチュア無線に熱中していました。将来の事を漠然と考えながら大学生となり、大学4年の春に、学部合同の就職ガイダンスではじめて、社会へ出る事を具体的に考え始めるようになりました。いまの大学生は1年くらいから就活を意識しているようですね。


私は高校・大学とも入試戦線では落ちこぼれに近いところにおり、いつも当落線上をさ迷っていましたので、進学に失敗したら就職せねばならないという危機感が常にありました。それで、大学進学に失敗してもあるていど好きな職業を選択できるように工業高校の電子科を選択。その流れで大学も工学部を選択しました。結果としては、それが不幸中の幸いとなり、4年の春に具体的な就職先を考え始めた時に、理想(やりたい仕事)と現実(就職したい会社)におおきな乖離がありませんでした。有名企業というブランドを意識しない訳ではありませんでしたが、優先順位は会社ブランドではなく仕事内容だったので、無名の中堅ソフトハウスでも問題ありませんでした。

しかしながら、「一流校入学」が目的であった多くの高校生にとって、やっとの事で入学した学部と、これから自分のやりたい仕事はマッチしているのでしょうか。就活の理想と現実の乖離を、大学生活の残りの時間で埋める事はできるのでしょうか。というか、そもそもやりたい事があって就活しているのでしょうか?最近の就活の応募が一流企業へ集中し、それ以外の企業が就活対象から外されているという現象は、そもそも学生が何をやりたいのかを「考えさせない」教育により生じているからではないかと考えています。就活生の「やりたい事」が明白ならば、入社後の配属先が不明な大企業より、職種を指定して入社できる優良な中小企業の方がずっと良い筈ではないでしょうか?(私の友人は、工学部の大学院を出て大手電機メーカーの本社採用になりましたが、営業部署へ配属されて不満だったようです。)

就活が職種優先ではなく企業優先になっている理由は、一流企業の4月一括採用の問題もありますが、より根源的な問題は小中高の学校教育が歪んでいるからだと思います。どこが歪んでいるかというと、教師が小中高生とその親に「一流大学・一流企業」という夢を刷り込んで、大学進学を目的化している事です。多くが貧しかった高度成長期にはワークしたのでしょうが、成熟社会になった現在では明らかに賞味期限切れです。

この問題の解決方法はある意味単純で、教師が子供と親に、「とにかく一流大学・一流企業」という夢の刷り込みを止めて、学習指導要領の問題があるなら課外授業でも良いのですが、中学生と高校生に「就職教育」を行うのです。教科書はとりあえず、村上龍の13歳のハローワークが良いのではないでしょうか。世の中にある仕事の種類と得られる収入を知り、子供たちが自分の夢を現実社会の枠の中に絞り込む機会と猶予を与えるのです。その中で、個々の学生の夢をかなえる為に大学進学の必然性があれば、それを前提とした進路指導をすれば良いでしょう。その場合の大学は、一流大学である事よりも、夢の実現の為に必要充分な勉強ができるかどうかが選択の条件になるでしょう。

これまで学校教師にとって、生徒が一流企業へ入社する事が最高の「結果」だったと思われます。しかし現実は、就職はスタートラインに過ぎず、そこから何十年もの社会生活が始まるのです。特に進学校の教師は、その現実から目を背ける事をぜず、子供が社会に出てからも力強く生きてゆく為の教育とは何かを考え、学校生活の中で実践してゆくべきでしょうないでしょうか。

石水智尚 – Mutteraway

────────────────────────────────────