やはり、池尾先生から厳しい批判が来た(前のエントリーにコメントを頂いたのです。)。
まあ、あれだけけしかければ来るわな。しかも、中身がきちんとしていないし。
しかし、ここからが大事なところである。
現実を捨象して捉える。それに問題がある、などと言ったら、学問の価値はなくなる。思考の価値自体がなくなるかもしれない。非常にばかげている。
ただし、このようなばかげた主張をいまだにする分野もある。すべての真実にはフィールドにしかなく、研究室にも中にもない。あるいは経営理論は意味が無く、すべては実際のケースの中にある。また宗教でも、教典を捨て、すべては実践にあるという考え方もあるし、日常生活の中にしか真理はない、という考え方もある。
さて、我々は経済学について語っている。
経済学はどうか。
経済全体をそのまま描写することは不可能だし、例えば、金融政策の意思決定をしなければならないときに、全体を把握しなければならず、現実を丸ごと理論のフレームで見ることは意味が無い。日銀の政策決定においても、マクロ指標などを元に全体を把握しつつ、各支店の報告を聞いて、ミクロの現象から裏付けを取る、あるいは洞察をサポート、修正する、という作業を行い、政策を決定していく。マクロでもミクロでも、理論的なフレームワークは重要で、それはフレームワークだから、現実そのものではもちろんない。フレームワークでは、どうやって現実を洞察を引き出すような形で、現実を捨象してつくり上げていくかが重要なのである。
だから、池尾氏の指摘はもっともというか言う必要もないことであり、それを言わせた小幡発言は阿呆なのである。
現代ファイナンスと行動ファイナンスの違いは、人間を捨象したか否かにある。
前者のフレームワークは、ミクロとマクロの整合性を得るために、人間あるいは経済主体を捨象し、個別の人間の行動の影響を受けないモデルを作り上げた。後者は、人間をそのまま捉え(プロスペクト理論は良くも悪くも現実そのままをモデル化した)、それを残した。
前者はマクロモデルを作ることが可能になったが、後者は、それが現時点では達成できないでいる。というか絶望的だ。捨象が足りないために、マクロ化が難し過ぎるのである。
したがって、一般的には、現時点では現代ファイナンスが現実のフレームワークとしては優れており、将来に関しては、行動ファイナンスへの期待が高まるものの、一方で絶望的、非現実的だという評価もある。
さて、ここでの問題点は、現代ファイナンスのフレームワークとしての価値についてである。
現実を捨象せざるを得ないが、その捨象の仕方が妥当かどうか、相対的にマシであるかどうか、という点において、これまで現代ファイナンスが唯一使えるものと扱われてきた。
私の問題意識は、他にないということで使われることで、かなりミスリーディングな結果を金融市場にもたらしてきたのではないか、ということだ。
例えば、長期投資は必ず儲かる。なぜなら、リスクテイクに対してはそれに応じたリターンが与えられる。人々はリスク回避的であるから、長期保有が可能であれば、途中期間の資産価値の変動を許容できれば、その分、高いリターンが与えられる。このようなロジックで株式投資の長期保有が薦められてきた。しかし、このアドバイスは誤りである。もちろん、必ず儲かる、という時点でインチキなのだが、しかし、この議論の背景となっているのは、現代ファイナンスで、それに対する疑いはないことになっていた。
そこが間違っている。
人々はケインズが言うようにアニマルスピリッツに満ちあふれている。ちなみに、アニマルスピリッツをチャレンジ精神のように解釈して広めたのは誰だか知らないが、明らかに確信犯だ。ケインズはアニマルスピリッツを一般的には否定的な意味として使っている。意訳するなら、アニマルスピリッツとはギャンブル狂、ということだ。ケインズは、健全な経済においては、資本蓄積が速やかになされ、最適水準に到達することになるだろう。そうなると、過小資本で、資本を保有するだけで儲けている人々の生活は変わる、つまり、利子生活者の安楽死がやってくるだろう、と言っている。そして、それをポジティブな意味で使っている。
その後は、利子はマイナスになるだろう。しかし、その状況でも投資はなくならないだろう。なぜなら、人間はアニマルスピリッツを持っており、それでもギャンブルしたいからだ。
そういう文脈でアニマルスピリッツは出てくる。
これはデータでも裏付けられている。世界中の大型株は、volatilityも高く、returnも低い。つまり、好いことが一つも無い。ハイリスクローリターンなのである。しかし、それでも人々は大型株を買う。なぜなら、株を買う以上、激しく儲からないと株で儲けた気がしないからだ。さらに言えば、volatilityはモーメンタムを作り、バブルを作るのに必要である。だから、流動性とvolatilityは必要不可欠なアイテムなのである。
そういう現実は、現代ファイナンスの枠組みでは出てこない。それどころか、意図的に捨象されている。
それが個人の素人投資家を、誤った道に導いたのだ。
私はこれは罪深いと思う。
これよりは、全体のフレームワークはまだ未知数であっても、ミスリードしない可能性のある新しい行動ファイナンスのマクロモデルの確立を目指したい。
たとえそれがどんなに困難なことであっても。
一ミリの真実を含む可能性があれば。