昨年末、神奈川県知事が瓦礫の受け入れを表明しその是非が問われたが、先日の河野太郎氏のブログでの発言をきっかけにしてにわかに議論が再熱した。個人的には、瓦礫処理の必要性、放射能濃度の低さ、処理における安全性の高さなどが懇切丁寧に説明されていて、「なんとなく不安」「判断材料がほしい」という方にはぜひ読んでいただきたいと感じる内容だった。以下は、河野氏のブログからの引用である。
さて、黒岩知事が受け入れを表明した震災がれきの発生地の岩手県宮古市は、福島第一原発から260km離れています。川崎市や横浜市は、むしろ宮古市よりも原発事故地に近いぐらいです。
福島第一原発からの距離を比べてみると、
宮古市 260km
横浜市 253km
川崎市 242km
相模原市 254km
横須賀市 267kmそして、2012年1月28日の空間放射線量率の最大値は
宮古市 0.052マイクロシーベルト/時間
茅ヶ崎市 0.047マイクロシーベルト/時間つまり、宮古市は、福島第一原発の事故の影響を神奈川県よりも強く受けたわけでもありませんし、現在の放射能濃度は神奈川県とほぼ同じレベルです。
これだけで「放射能瓦礫」などと呼ぶのがおかしいことは自明だと思うのだが、昨夜もTLに流れるRTを見るにつけ、なぜ「震災瓦礫」が「放射能瓦礫」になるのかと首を傾げていた。そして、その心情を吐露する形でこうつぶやいた。
受け入れ瓦礫は「放射能瓦礫」じゃなくて「災害瓦礫」。その通りだよね。差別はやめて協力しようよ、そこは。本来「助け合い」って言葉で片付くこと。
このツイートが意外にも拡散し、いくつかリプライをいただき、結果的に人々が様々なフェーズで不安、疑問を抱いていることがよく分かった。「見えない敵に対する正しい情報が分からないから、どう判断したら良いかわからない」という方も入れば、「瓦礫自体、一般焼却炉では対応できない。防腐剤が圧縮注入された建材、重金属、アスベストやヒ素の付着が気になる」という方もいた。
またある人は、阪神淡路大震災のときの災害瓦礫受け入れ拒否の理由がアスベストであること、その処理フローを示す資料「石綿含有廃棄物等処理マニュアル(第2版)」を教えてくれた。そして、この記事をしたためるきっかけとなった気づきを与えてくれるリプライがあった。
もう一歩踏み込んで災害瓦礫を「被災財」と認識して頂けたら「助け合い」の心により近い。がれきは11ヶ月前の「家財」なのです。
「震災者にとって瓦礫は被災財である」。正直なところ、こういう風に考えたことはなかった。そういう意味では、「助け合い」という言葉を軽はずみに使ってしまったかもしれない。ただ、このことを通して、被災廃材は直前まで誰かの家や所有物であり、それを「瓦礫」と言われるのはつらい、厄介なものとして押し付け合うような構図を見て傷つく、そういう感情に想像力を働かせることができたので、この場を借りて改めて感謝したいと思う。
「放射能瓦礫を動かすな」「放射能ゴミから子供を守れ」といった発言をする方は、まずはそれがいかに差別的であるか、被災地で復興を目指している方々をどれだけ悲しい気持ちにさせるか、想像してみたらよいと思う。
瓦礫の受け入れに関して、不安になるな、黙って言うことを聞けなどと言うつもりはない。むしろ、その不安や懸念事項をそのままにせず、リスクについて冷静に考え、状況を把握し、段階的に不安要素を取り除いていくべきだろう。「なるほど、放射能のリスクはなさそうだ。では、アスベストなどはどうなんだろう? そこはしっかり対応してるみたいだな。そうすると…」というように。
いずれにせよ、震災により多大なるダメージを受けた国でお互いが助け合うことは、キレイゴトなどではない。震災時に、当たり前のように募金したり、物資を送ったり、ボランティア活動に参加したのは、被災地で苦しんでいる人々を助けたい、少しでも役に立ちたい、いち早く復興してほしいと思ったからであり、瓦礫の受け入れもその一環として考えてしかりである。
こんなことを言うと「外側にいる人間の高みの見物だ」と避難されるかもしれないが、私は横浜市のすぐ隣の鎌倉市に住んでいるし、一児の父でもある。この件に関しては、むしろ「当事者」と言えるだろう。その上で、「被災財」を受け入れるべきだと言いたい。
青木 勇気
@totti81