年金改革の議論のために

小幡 績

土居氏のこの記事はすばらしくわかりやすい。また経緯をうまくさらっと説明している。さすがだ。すばらしい記事だけに、かえって欲張りな不満が出てくる。


まず一つは、違いはよくわかったが、結局、財政はもつのか、日本経済は持つのか。年金につぶされてしまわないのか、ということである。これには、鈴木亘氏の記事が示唆を与えてくれる。色んな意見があるところだが、彼の意見は、破綻あるいは異常な税負担になるということだ。これでは持たない。

しかし、最大の問題はじゃあどうすればいいのか、ということだ。土居氏は、個別の利害、今よりどれだけ自分が、あるいは誰々が損する、得する、ということではなく、国全体の制度としてどうあるべきかという観点から議論すべきだ、という。それを国民的な議論とすべきだと。

いや、それでは無理だ。ギリシャを見よ。あそこまで行っても、年金は最後までまとまらなかった。国民的議論を尽くすことなどできない。政治はポピュリズム、個々の国民は利害に忠実(あるいは政治家がそう思い込んでいる。ただ、思い込みでも一緒だ。ポピュリズムの下では、結果として出てくる政策は思い込みでも、真実でも同じになるから。)。そして、哲学、年金に対する考え方も異なる。哲学論争をしている暇はない、というより、議論してもまとまるはずがない。だから議論は無意味なのだ。

ここでの学者の役割は、整合性のある完成した案を複数、メディアを通じて提示することだ。政治というフィルターを通じず、直接国民に、利害関係のない学者が提示をし、国民は、それを見て、世論を形成する。その結果、政治がそれに動かされ、人気取り政策を打ち出すのではなく、世論に動かされて、やむにやまれず、選挙に関係なく、その案を国会で成立させるしかなくなる。

だから、これだけ見識のある土居教授は、国民の議論にゆだねると言うのではなく、彼の案を提示してほしい。それが私の彼への期待だ。

私は、ずっと私案を提示し続けている。このアゴラでも示した。しかし、私では力不足だ。ここは、是非、第一人者の土居氏にすばらしい案を提示してもらい、国民の議論を沸騰させてほしい。