なぜ、今「クラウドファンディング」が注目されるのか

青木 勇気

「クラウドファンディング」という言葉を知っているだろうか。見聞きしたことはあるものの、詳しくは知らない、サービスを利用したことはないという方が多いかもしれない。一言でいえば、「志あるプロジェクトに必要な資金をネットを通じて広く有志から集め、実現する仕組み」のことだが、大分すると「寄付型」「購入型」「投資型」の3つに分かれ、プロジェクトの内容、モチベーションは多種多様だ。

本稿では、日本における代表的なサービスとプロジェクトの実例を紹介しながら、今まさに「クラウドファンディング」が注目されている理由について述べたいと思う。まず、国内最大級のサービスとして、以下の二つが挙げられる。


「READYFOR?(レディーフォー)」
“実行者”を支援する日本初&国内最大のクラウドファンディング。音楽・映画・アート・テクノロジーなどのクリエイティブな活動をはじめ、夢や志を持つ“実行者”がアイディアをサイト上でプレゼンすることにより、多くの支援金を集めることができるサービス

「CAMPFIRE(キャンプファイヤー)」
クリエイターのアイデアを実現するための創作費用を、共感した人々から少額で募れるクラウドファンディングのプラットフォーム

少々乱暴な言い方にはなるが、UIやプロジェクトの性格の違いからもわかるように、「READYFOR?」の方がより「社会派向け」、「CAMPFIRE」の方が遊び心が強く、より「ものづくり派向け」という特徴がある。

また、サイトを見ていただければ一目瞭然だが、実に様々なプロジェクトがあり、そこにかける想いやアイデア、センスに触れるだけで刺激になる。発起人の「志」や「夢」の内容とプレゼンテーションの精度、情熱がポイントとなるため、当然ながら目標の達成率もプロジェクトによってまちまちだ。

期間内に一定数以上の共同出資(購入)者を集めるという観点では、一見するとグルーポン、ポンパレなどの共同購入型クーポンサイトに代表される「フラッシュマーケティング」に似ているが、集客と販売、見込み顧客の情報収集を目的とするビジネスモデルとはむしろ、真逆のベクトルを持つ。というのも、お得感のある共同購入型クーポンとは違い、クラウドファンディングには基本的に金銭的なメリットがないからだ。

では、なぜ数多くの人が出資し、プロジェクトが成立するのか。これは、筆者自身も出資し、成功を収めたプロジェクトを例に挙げて説明しよう。

「ミャンマーで病に苦しむ一人の少女の『心』を救う!」

このプロジェクトは、小児外科医であり、特定NPO法人・国際医療ボランティア団体「ジャパンハート」の代表である吉岡秀人氏の活動に心を打たれた東京大学4回生の吉田将人さんによって企画されたものだ。

吉岡氏は、無償で16年もの間ミャンマーへの医療支援を続け、10000件以上の小児外科手術を行ってきた実績を持つが、NPOとしての知名度は低く、活動支援も十分に受けていなかったため、病気に苦しむ女の子に手術を受けさせるために日本に連れていく資金が必要だったのである。そこで、クラウドファンディングを用いて、吉田さんがその意義を代弁した形だ。吉田さんは、プレゼンテーションの中でこう言ってる。

本当の意味での無償支援って、そもそも無償なのは当たり前。何か社会貢献的な活動をすることで、その対象者たちは自分のことを必要としてくれる。その「求められている」という感覚が、人間にとってもっとも高次元の欲望を満たすのではないか。

この言葉にこそ、クラウドファンディングの可能性の大きさを見出すことができるのではないだろうか。ある志や使命感によって無償で行われることが、イコール真に求められていることであり、それに同調する者たちが直接は関与できない分、金銭的かつ広報的に支援する。そして、そのことにより活動が補完され、一体感を帯びるようになる。

つまり、矛盾した言い方だが、「目標金額に達成すること自体が目的ではないこと」が重要なのだ。実際、筆者も吉田さんがTwitterで喜びの達成報告をしているのを見て、何とも言えない達成感を覚え、喜びを共有し、心から祝福したい気持ちになった。

東日本大震災に際し、数多くの人が被災地のために募金したが、その是非を問うまでもなく行動を起こしたのではないだろうか。これ自体は非常に素晴らしいことだ。問題は、それが何のために、誰のために、どれだけ使われるのかを実感できないことだろう。募金をする行為自体は能動的なものだが、自分がある目標を達成することを支援したとはなかなか思えない。しかし、このような募金や寄付とは違い、クラウドファンディングには「参加している感覚」がある。

この感覚は「震災瓦礫受け入れ問題」を考えるときに有効ではないだろうか。もちろん、クラウドファンディング型のプロジェクトとして扱うべきなどと提案したいわけではない。ただ、懸命に活動する人々への敬意や、自分も何か少しでも力になりたいという純粋な気持ちが、決して少ないとは言えない金額をほとんど「無償」で集めている。

この紛れもない事実は、無視できないものがある。今、クラウドファンディングが注目されているのは、決して目新しいからだけではないと思うのだ。

青木 勇気
@totti81