かつて、西澤潤一先生が、工学の「工」の字は、天の理と地の人を結ぶ事を表していると話していたのを聞いたことがある。 我々工学に関わるものは、自然現象や原理と、人の営みを結ぶ役目を担っているというような話で、僕はこの話がとても好きだ。
しかしながら、昨今はどうも天の理を相手にするのではなく、人と人の利害の間に立って、器用に立ち回る学者が良き賢者とされているのではないかと思う事が多い。 そこで、この本質的な工学という立場から、電波開放に成すべき事を考えてみた。
アゴラでも再三に渡って論じられている電波政策では、オークションが適切かどうかは、経済学や制度設計の視点から多いに議論されるところだが、工学的見知からは、もう少しプリミティブにこの問題に取り組む工学者があっても良いのではないだろうか?
つまり、電波資源の有効利用や再利用を実現するためには、工学的に何が足りないのか、何が必要なのかを、真摯に追求する事が工学系有識者/学術研究者の成すべきことだろう。
電波や通信の専門家として、こういう視点や視座での創造的アイデアや提案をすることなく、用意された筋書きにお墨付きを与え、制度設計と実務のバランス調整をするようなお役回りだけを演じるようでは、工学者としての矜持を感じない。
電波資源の割当問題では、オークションを行うかどうかではなく、如何に電波スペクトラムという物理層と事業使途、サービスのバインディングに適応性を与えるかが、前提条件として必要ではないだろうか。
インターネットの前例に見るように、技術的に適応性をもったシステムが出来れば、その後派生的にいろいろと破壊的なイノベーションが創出されてくる。 もちろん、黎明期においては、様々な既得権や既成概念からの抵抗はあるが、電波利用の自由度、流度が増せば、そこから変化が起こる可能性は高い。
無線LANのイノベーションは、ISMバンドという裁量行政に馴染まず、かつ世界共通の周波数を通信に使ったことと、その上にIPというアンバンドルのための階層分離モデルが組合さった事に起因している。
そこで、TVのホワイトスペースや、携帯の電波割当等の行政議論のにおいて、工学者はもっとアンバンドルの為の技術設計や、既存の電波利用の定量的評価という視点での提案や発言をしてはどうだろうか?
ちょうど、先週行われたIEEE802.11の会合において、TVホワイトスペースでの標準化を進めているTGafでは、日本のNICTの研究者を正式なリエゾンとして任命し、総務省のホワイトスペース推進研究会へのアプローチがようやくはじまった。 いままでは、TGafでは、日本のホワイトスペースは蚊帳の外だったし、ホワイトスペース推進研究会では、あくまで独自路線で世界に目を背けてきたので、これは大きな転換になるかもしれない。
こういう胎動がはじまった今こそ、電波資源の在り方について、著名な工学系研究者の方には、本職の工学的見知という立場からの取り組みに注力して、ステークスホルダーのしがらみ調整の泊付け的な立場を献上してほしいと願うのは、いささか生意気かもしれないが、僕の素直な気持ちである。
なお、僕は、2003年に「電波の再配分に向け利用効率の客観評価を」という論文で、電波の利用効率の定量評価の仕組みを提案し、最近は実電波を使わない非環境依存な電波システムの評価テストベッドの研究等をしているが、これらは電波利用に以下に適応性を持たせるという根幹的テーマであり、それが社会において、僕がすべきテーマと信じているからだ。