アゴラで竹内健氏の『世界で勝負する仕事術』を紹介したら、井上晃宏氏がそれをフォローする記事を書いているので、私も補足しておこう。
湯之上隆氏の話はJBpressの連載にもくわしく書かれているが、要は日本の半導体がだめになった原因は技術ではなく、無能な経営者だという話である。彼の「日本のDRAMは過剰品質だ」という批判はエルピーダなど最近の半導体については当てはまらないようだが、技術陣が既存技術の改良にこだわり、コスト削減を軽視する体質は、コンピュータや通信など他の分野でもよくみられる。
日本軍が艦隊決戦主義や三八式歩兵銃のような古い技術にこだわって失敗したことは、『失敗の本質』でも指摘されている。古い技術に習熟した技術者にとっては、新しい技術を一から勉強するより、既存技術を改良して変化に対応することが合理的だ。古い技術への投資はサンクコストとして無視できるので、改良のための追加的な投資だけでいいからだ。これは菊澤研宗氏のいうように「既存技術への投資がサンクコストになる」からではなく、それが無視できるからである。
古い技術の改良で対応することは、技術者にとっては合理的でも、全体としては非効率的な結果をもたらす。この場合には古い技術を捨てる経営者の決断が重要になるが、竹内氏もいうように日本の技術者の力量は高く、専門家集団の自律性やプライドが高い。このため経営者は技術を現場に丸投げしてその利益代表となり、役員会は利害調整の場になる。だから「技術者が優秀なのに経営者が無能」なのではなく、「技術者が優秀だから経営者が無能」になるのである。
これに対して欧米では、経営者は株主のために企業価値を最大化することが目的なので、現場から切り離されて戦略的な意思決定だけを行なう。どちらがいいかは、一概にはいえない。市場の大きな枠組が変わらず、先進国の技術をまねればいいときは日本型のほうが効率がいいが、技術や市場の変化が大きいときは経営者がリスクを取って事業再構築を行なう株主資本主義が優位になる。
市場がグローバル化するにつれて、技術がコモディタイズする速度が上がり、事業再構築のできない無能な経営者がボトルネックになっている。これを「国民性」とあきらめてしまうのは早計で、制度設計で改めることは、ある程度は可能だ。たとえば東電やエルピーダの救済にみられるように、会社が「つぶれる」ことを恥とみなして政府が救済することをやめ、資本市場による企業再生や人材の流動化を促進すべきだ。
しかし民主党政権は、労働契約法改正案にみられるように「正社員」の既得権を守る家父長主義を捨てることができない。自民党も似たようなものだから、このレジーム・チェンジのできる政党が政権につくまで、日本は変われないだろう。