前回の記事では、橋下大阪改革には、実際に細かい改革内容を見ていくと、「アンフェアな既得権は廃止しつつも、本当に困っている人には直接的な保護が行くような方針」もかなりあるにも関わらず、一般のメディアだけを見ていると、さも「冷酷非道な弱者切り捨て主義者」に見えてしまっているという話をしました。
そして、そのギャップの背後には、「右か左か」「保守か革新か」といった「20世紀的な紋切り型」の延長ですべてが議論されることの不幸があり、そういう「宗教論争」ではなくて、現地現物的な発想で、「どうすればいいのか」にみんなの意識を集中していけば、むしろ「20世紀的には天敵同士」のような人たち同士の間にも、「本来的な広く深い連携」が生まれるはずだ・・・というのが、ここまでの趣旨です。
では、「本来仲間になれるはずなのにお互い天敵だと思っている人同士」を結びつける「共有された新しい文脈」は、どうすれば形成されていくのでしょうか?
その一大方針は、
「”強いリーダー”を求めるだけでなく、”リードしやすい空気”も同時に形成しようとすること」
です。
過去20年の「何も決められない緩やかな没落の時代」において、数々の「強いリーダー」たちが、「抵抗勢力をぶっ壊す!」というスローガンで突き進み、ある程度の大きさにまではなりつつ、結局彼らが盛り上がれば盛り上がるほど強力に団結してくる「抵抗勢力さん」によって、最後はナアナアに絡め取られて終わりました。
もちろん、「強いリーダーシップを望む気持ち」自体を持つことをみんなが一斉に辞めてしまったら、さらに日本は何も決められない国になってしまうので、その気持ちを捨ててはいけません。
実際「大阪市」というローカルな単位では、曲がりなりにも「前に進む決断」ができたわけですし、「何かそこから変わっていくものがあるんじゃないか」という期待感は広い範囲の日本人に共有されつつあると思います。
ただ、今後この動きが、「もっと大きく広範囲に」なっていかないと日本は良くなりません。その時に予想される「過去20年続いてきた同じ形の失敗たち」の危険性を考えれば、次はもう少し「追加の工夫」も必要ですよね?
それが、
「”強いリーダー”を求めるだけでなく、”リードしやすい空気”も同時に形成しようとすること」
なんですね。
これは「強いリーダー」を批判しているのではなくて、「リーダー役がやりやすい空気を作ること」も並行して同時にやっていくことを考えないと、日本において今後広範囲に「強いリーダーシップ」が生まれることはありえないということです。
私の好きな漫画、「ジョジョの奇妙な冒険」の台詞で言うなら、
「ハサミ討ちの形になるな……」
です。
橋下氏は、かなり「攻撃的」な口調で突き進んでおられますが、それは、彼がよくおっしゃる「変えるための政治的エネルギーを結集」するためのパフォーマンスであるとも言えます。現状では無理してでもそうしていないと彼のムーブメントは維持できない。
しかし、「彼がリードしやすい空気」の方を、みんなで作っていったらどうでしょうか?その空気が一歩醸成された分、彼の口調も一歩ソフトになれるでしょう。
そして、「本来わかりあえるはずの仲間」と、「実践的・具体的な相談」をすることが、ノイズなしに出来る可能性も、また一歩広がるでしょう。
そうすれば、「パフォーマンスのための過激な政策」ではないところで、「本当に必要な政策」を実行していくことも可能になるでしょう。
日本に必要なのは「必要なリーダーシップがちゃんと通るようにすること」であって、「独裁者を生み出すこと」ではありません。そして、「全然何も決められずにさらに没落すること」というのは「どんな立場の人にとっても嬉しいことではないはず」です。
今回はここまでです。
次回は、「じゃあどうすればリードしやすい空気が作れるのか?」について考えてみます。
そのためは、「”抵抗勢力さん”が存在を許されていることの本質的意義」をまず考え、それを「別の方法で実現することで根枯らしにしてやろう」という発想が端緒となります。
とはいえこれだけではよくわからないと思うので、次回掲載までは、拙ブログのこの記事やこの記事等をお読みになって、お待ち頂ければと思います。
倉本 圭造
経済思想家・元経営コンサルタント
公式ブログ「覚悟とは犠牲の心ではない」