原発停止にフリーランチはない

池田 信夫

経済学の基本原則に「フリーランチはない」というのがある。「何かを犠牲にしないで何かを得ることはできない」という意味だ。こんなことは経済学で教えるまでもない常識だと思っていたが、京都府や滋賀県の知事がそれを理解していないのは困ったものだ。彼らは記者会見で「今夏の電力需給状況を政府が第三者委員会を設けて明らかにせよ」と要求しているが、電力が足りればいいのか。原発停止のコストはゼロだと思っているのか。


ニューズウィークにも書いたように、昨年の燃料費の増加は4.4兆円。きのう発表された昨年度の貿易赤字も4.4兆円で、ちょうど燃料費の増加分が貿易赤字になった。このうち原発の停止による増加は3兆円程度とみられているが、それでも毎日100億円ぐらいお札を燃やしているようなものだ。そして電力供給が不安定になってエネルギー価格が上がると、製造業の海外移転が進んで雇用は失われる。これが原発停止の機会費用である。

釣雅雄氏もいうように、最近の日本経済に最大の打撃を与えているのは、エネルギーコストの増加である。4.4兆円というのは、GDPの0.9%。今年は円安・原油高でもっと赤字は広がるだろう。もともと日本経済はエネルギー価格に対して脆弱だが、原発を止めると資源国から足下を見られる。石井彰氏がGEPRで指摘するように、日本はアメリカの6倍の価格でLNGを買わされている。


国民がこうしたメリットとコストの両面を知った上で「安全性のためには3兆円ぐらい払ってもいい」と判断しているのなら仕方がない。しかし2人の知事が、トレードオフの片面しかみないで「安全のコストはゼロだ」と考えているとすれば、県民をミスリードするものだ。定量的なリスク評価を行なうことが、合理的な意思決定の必要条件である。

ヤーギンもいうように、エネルギー分野の最大の問題は、新興国の爆発的なエネルギー消費の増加で、今後20年にエネルギー消費が40%も増えると予想されていることだ。化石燃料の価格も、上がり続けるだろう。それに対するヘッジである原子力を捨てると、そのコストはすべての分野への「課税」として将来世代の負担になる。

原発はエネルギー供給の手段にすぎないので、それ自体の是非を問うことには意味がない。重要なのは、多くの手段の中から、経済性と環境(安全性)のトレードオフの中で、どういうポートフォリオを選択するかである。「リスクゼロ」を求めてエネルギーコストを極大化するのも一つの選択だが、政府にそれを求めるなら、そのメリットとコストを併記して国民に選択を問うべきである。