国会議員の最大の任務は法案の審議にあり、審議を拒否する事は民間で言えばストライキに相当する。労働者が自分の生活を掛けてストを選ぶのに比べ、国民に託された「審議」と言う神聖な責務を放棄しながら、国会議員の審議拒否が議員個人や政党には何の影響も及ぼさない現行制度は到底納得出来ない。ましてや、解散も無く6年間身分が保証されている参議院議員が審議拒否をするなどもっての他である。
日本国憲法では、国会に対し連帯して責任を負う内閣が、行政権の行使について責任を充分に果たしていないと考える場合、内閣を不信任する権利を衆院に与え、内閣総辞職あるいは衆議院解散によって民意を問う義務を負わせている。
衆院の任期は4年であり、任期中の解散は政権を一刻も早く奪還したい野党には好都合かもしれないが、国民が求めるのは納得の行く政治を、決められた制度の中で実現する事であり、解散に追い込む事を目的とした政治などは求めていない。日本と同じ様に、任期中の解散を認めている国でも、成熟した民主国家では永く任期を残した解散が少ないのは、非常権の行使をなるべく押さえ、論議を尽くして多数の決定に従う慣例が確立しているからである。その点、わが国の政治家、国民の成熟度はまだまだだと言わざるを得ない。
又、衆院と参院が対等であれば、参院にも当然に同様の権利を与えるべきだが、憲法は衆院の優位性を認め、参院にはその権利も義務も与えていない事実を考えると尚更である。
政党に所属しない議員が多数を占めていた時代は少しは機能していた参議院も、政党政治家が多数を占め衆議院との差が殆ど見られなくなった現状では、審議拒否は「議論を尽くすために必要だ」と言う、唯一の参院必要論も否定する事になる。
参院の審議拒否は、参院が盲腸化して、いまや百害有って一利無き存在に身を堕したと断じても行き過ぎではなかろう。
その様な時、自民党は、野田首相が前田国土交通相と田中防衛相の更迭に応じないことだけを理由に消費税率引き上げ関連法案の全面的な審議拒否する方針は、世論の理解を得ることは難しいと判断し事実上転換したと報道された。とは言いながら、「国会審議に応じないという原則は譲っていない」と往生際の悪さも露呈している。
この道はいつか来た道。自民党の審議拒否を非難する民主党も、2005年5月の郵政民営化特別委員会設置の際には、社民党とともにすべての委員会審議を拒否した脛に傷を持つ「政局型」政党である事は自民党と変らない。日進月歩の世の中に比べ、国会の進歩の無さにはあきれ返る。
今回の場合、審議拒否を前田、田中両氏が所管する委員会にとどめるとした公明党に対し、自民党の脇雅史参院国対委員長が「邪論」と批判したり、公明党の山口代表が「大人の対応を」と応酬するなど、野党間でも政策をそっちのけにした感情的な対立にまで発展するなど、国民を無視した政局ごっこ論争の質の低さは目に余る。
6年に一度来る選挙費用も入れると年間600億円以上の経費を掛けた割に、国民の受ける恩恵が「慎重審議」だけしかない参院の審議拒否は、正に自殺行為である。
歳費や諸手当て、政党交付金、議員宿舎の費用などを入れると参院議員一人当たり年間一億二千万円以上の血税を要している。国民の期待に応える活動をするのであれば、この費用は決して多いとは言えないが、労働者のストライキに当る審議を拒否するのであれば、少なくとその期間は議員歳費は勿論、諸経費、政党交付金などの支給も日割りで控除するなどの処置を講ずるべきで、議員や政党がが何の犠牲も払わずに任務を放擲する特権まで与えてはならない。
スト権を認めない反対給付として設置された人事院が、強大な権力を行使して公務員の処遇を決めて来た結果、スト権を賦与された民間より遥かに高い給与や福利厚生施設に恵まれた公務員天国を作った日本で、人事院の権限の及ばない国会議員と言う公務員が、「審議拒否」と言うスト権を行使しても何のお咎めを受けない現行制度を存続させる理由は見当たらない。
本来なら参院廃止か、衆院とは異なる権利義務を行使する第二院の創設に踏みきるべきであろうが、憲法の改正を考えると早急な実現は難しい。現実としては、審議拒否期間の歳費を含む政治資金の給付停止位は早急に実現する時期である。
北村 隆司