アゴラは普段は読んでばかりなのだが、2012年5月27日の小幡績氏の「最適な法制度とは」を読み、思うところがあり投稿する。
いきなりだが、では(法制度の)デザイナーの不在(人材不足)が一番の問題なのだろうか。
私は、デザインの基となるわかりやすい設計思想と、デザインを試行錯誤できる環境の二点をチャレンジポイントとしてあげたい。
一点目だが、現実的には、問題点の合意と、どのようにシステム変更するかという大方針の合意とが不可分である。
論理的には課題認識と解決案は別建てだが、実際には、落とし所が見えないと人・組織は動かない。
そのため、システム変更のコンセンサス時に、デザインの設計思想も関係者と共有されていることが重要となり、事前に納得感のある落とし所としての設計思想が必要になる。
デザイナーの中で閉じて十分であれば専門的でもよいのだが、法制度変更のように、政治が関係し、関係者が幅広い場合、平易でわかりやすいパンフレットが必要とされる。
このようなわかりやすく、一定数合意される設計思想は今のところないはずだ。
このままでは、デザイナーを育てても、後でデザイナーがはしごを外されてしまうことが起こりうる。
二点目だが、仮になんらかの設計思想を合意できたとして、それを試行錯誤する環境整備が困難だ。
試行錯誤したい対象と相似の環境があり、かつ規模が大きすぎず、外部性が小さければ、特区制度が機能するだろう。
しかし、このエントリーが対象とするような大きな試行錯誤であれば、どう試行錯誤するのかが厳しく問われることになり、特区が複雑になりすぎて機能不全を起こす恐れが高いのではないか。
例えば、税制等である。
これも具体論を考えるとすぐ想起されることのため、設計思想の合意段階で詰められる恐れが高いだろう。
このように、この二点は関連をもちつつ、しかるべき困難性があって現状に至っていると認識している。
現時点では、生活保護の問題しかり電力自由化しかり、突発的事象で吹いた世論の風で合意と試行錯誤を正当化している状況だ。
このような風任せも悪くないのかもしれないが、不安定な風の下で優秀なデザイナーは育つだろうか。
風を安定的に出すサーキュレーターのようなわかりやすい設計思想は、デザイナーの人材確保に類する位重要かと思う。
佐藤 晶
会社員