「実力以上に期待されている(評価がバブルになっている)ものを挙げろ」と言われたら、皆さんは何を思い浮かべるだろうか。高い成長率の持続を期待されている新興国、メンバーの一人一人をよく見ると騒ぐほどでもないアイドル・グループなど、人によって色々な意見が出てくるだろう。
しかし、何と言っても我が国で最大のバブルは、日本政府に対する「この国を何とかしてくれ」という期待感ではないか。
1.内閣支持率のバブル
-なぜか高まる内閣支持率-
上記のグラフは、80年代以降の各内閣の発足時の支持率である。
80年代の内閣支持率は平均32%に過ぎない。しかし、「失われた20年」に突入した90年代には、自民党が下野した細川内閣や行政改革への期待が膨らんだ橋本内閣の支持率が極めて高かったこともあり、支持率は平均45%まで上昇している。また、小泉内閣以降は、内閣発足時の高い支持率はもはや当たり前となっており、支持率は平均64%にも達している。
要するに、昔よりも内閣に対する期待値が高まっているのだ。このような90年代以降の(特に小泉内閣以降に顕著な)内閣に対する期待・信頼感は妥当だと言えるのだろうか。
-「支持」は根拠のない「願い」-
我が国の置かれた状況を経済的な面に絞って考えてみると、財政赤字の増大による予算制約や近隣の新興国からの猛烈なキャッチアップなど、かなり厳しい状態に陥っている。また、このようなマイナスの状況は時間とともに悪化している。したがって、80年代の頃と比べると、政府の政策的な舵取りは遥かに難易度を増しているはずである。しかし、支持率は90年代や小泉内閣以後の方が高いのである。
企業で言えば、借金が重たくて破綻寸前になっていることに加え、多数のライバル企業にシェアを奪われるという最悪の状態になっているにも関わらず、株価だけが不気味に上がっているようなものだ。
90年代以降の支持率の高さは、内閣が掲げる政策の妥当性や実行可能性に対する冷静な評価ではなく、「日本を何とかしてくれ」という根拠のない「願い」が反映されているに過ぎないのではないか。そうであれば、政策の妥当性や実行可能性の面から見ると、支持率の高さは内閣に対する「評価バブル」である。
2.懲りない「バブル崩壊」の繰り返し
しかも、上記の「評価バブル」は恐ろしい勢いで崩壊する。特に小泉内閣が幕を閉じてからは、政府に対する「期待バブル」の崩壊を1年毎に5回も連続(安倍、麻生、福田、鳩山、菅内閣)で繰り返している。
あたかも、「プライベートな関係に発展するわけがない」と内心では分かっているのに、「もしかしたら」と変な期待を抱いてキャバクラに通い続けるようなものだ。期待できないとわかっているにも関わらず、根拠のない願望だけを頼りにキャバクラに5夜連続で行くのは馬鹿である(金が掛かるだけで得るものは何もない)。こんなことは誰にでもわかる。しかし、我々日本国民はこれと同じ事をしているのだ。
3.期待が過大だとなぜいけないのか?
では、国民の政府に対する期待が過大になることのデメリットは何であろうか。
最も大きいのは、政府が根拠のない期待に答えようとして、できないことでも無理に挑戦してしまうことだ。これは、高い運用利回りを求められたファンドが、無謀な投資を行うのに似ている。内心、「こんなに高い期待リターン(政策)の実現は無理だ」と分かっていても、正直に「無理だ」と言えば、他のファンド(政治家、政党)に乗り換えられてしまう。だから、過大な評価に対して不足している実力を強引に合わせようとして無茶をすることになる。
4.根拠のない「願い」を超えて
政策の妥当性や実行可能性を見ようとせずに、目をつぶって祈っているだけでは、政府の行動を歪めるだけだ。政府に無闇な「願い」を込めて失望を繰り返すのではなく、冷静かつ適切な評価を我々が行うことから日本の改革は始まる。求められているのは政府に対する「リーズナブルな期待」である。
高橋 正人(@mstakah)