会計士問題「期待ギャップ」をどう埋めるのか? ─ その2 --- 山口 利昭

アゴラ編集部

先日の「会計士問題・期待ギャップをどう埋めるのか?」にはたくさんのご意見どうもありがとうございました。非常に詳細にご解説いただいているコメントも、私を含め、世間一般人の理解を進めるものとして参考になります。たしか先日の監査法人アンケートに関するエントリーの際にも、多くのご議論をいただきまして、そちらと併せて読ませていただきました。基本的には元会計監査従事者さんのご意見が、私個人としては最もなじみやすいものと感じました。


今日も、ある会合で持論を述べましたが、当ブログでたびたびご紹介する山一證券監査人だった伊藤先生の本を読み「会計監査人が裁判に巻き込まれると、監査や会計を知らない人たちのなかで行われるわけで、適正な手続きによるのであれば10年もかかってしまう」という現実を認識しました。伊藤先生には申し訳ありませんが、この裁判に関係する方々は、私個人としてもよく存じ上げている方々です。立場が異なるとはいえ、やはり会計監査への疑問を感じておられました。決して名声とか報酬目的でなく、あるべき監査制度との矛盾に憤りを感じていたものと思います。しかしそこに「期待ギャップ」というものが横たわっていたのであれば、これをなんとかしなければなりません。

提訴の時は「甘い監査」「役に立たない監査」とマスコミから大々的に報じられ、10年後に最高裁で完全勝訴の決着がついたら誰も「会計監査人に責任なし」と報じないというのが現実なのです。つまり会計士さんは裁判に巻き込まれると、自宅を担保に入れてでも膨大な裁判費用をかけて、人生をかけて、元の平穏を取り戻さねばならないのです(勝訴しても弁護士費用は自己負担です)。いや、勝訴したとしても、きっと過去に一度失った信用は取り戻すことはできないでしょう。

これはマズイと思います。期待ギャップ解消の必要性は、投資家の自己責任の認識を高めるためにも、監査法人側からもアクションが必要です。かといって、どなたかが、以前のコメントでおっしゃっていたように、粉飾というのは発見しろと言われても、いきなりシロがクロになるのではなく、段階をおってグレーが黒に代わっていくわけで、どの時点で「おかしい」と言えばよいのか、むずかしいというのも十分に承知しております。監査報酬のこともあり、合理的保証のレベルが監査に求められる以上は、私も一般世間の方々が抱いている会計監査への期待を、そのまま体現しろ、などと申し上げるつもりは毛頭ありません。

ただ、前のエントリーで元会計監査従事者さんが述べておられるように、過剰な期待は投資家の理解を促進させるような対応が必要でしょうし、正当な期待(合理的な期待)のレベルがあるとしたら、そこへ到達する努力をしなければ、これからも第二、第三の山一証券元会計監査人の悲劇が生まれるように思います。ごく一部の不届きな会計士のために、全体の規制が厳格になるよりも、厳罰化で対処したほうがいいのではないか、とのご意見もあります。しかしその厳罰を課すプロセスには、また「適正手続」が求められます。そのプロセスは、(たとえ最終的には厳罰を免れたとしても)また長く苦しい道程になってしまうのではないでしょうか。

会計監査制度が世界共通のものであるとしたら、訴訟大国アメリカで監査法人を被告として争われた裁判の判例も、日本で援用しやすい、ということを意味することになるのかもしれません。会計監査人のリーガルリスクを低減させるためにも、今後は「物言う監査法人」こそ必要なのではないかと感じております。


編集部より:この記事は「ビジネス法務の部屋 since 2005」2012年6月7日のブログより転載させていただきました。快く転載を許可してくださった山口利昭氏に感謝いたします。
オリジナル原稿を読みたい方はビジネス法務の部屋 since 2005をご覧ください。