人道主義への回帰か? 国の肥大化か? ─ 米国の「医療保険改革法」合憲判決に考える!

北村 隆司

議会での激しいつばぜり合いを経て、やっとの事で2010年3月に大統領の署名発効に漕ぎ着けた医療保険改革法は、今日(28日)の米国最高裁が合憲判断を下した事で一応の落着をみた形だ。

米国最高裁での口頭弁論を、C-SPANで一部始終聞いていた (米国最高裁はマイクの持込は認めているが、カメラは禁止している) 私にとっては、ほぼ全面的にオバマ政権の言い分を認め判決は、全く意外であった。


9人の判事が、時には相手の発言中も割って入るほど、自由に何でも質問できる米国の口頭弁論は、誠に手厳しいもので、その波状質問に何の資料も見ずに即答する代理人の広い知識と成る程と思わせる理念の確かさは唸るより他ない離れ業である。

モーニングの正装をした政府側の代理人は、法務省の訟務長官 (Solictitor Generalと呼ばれる、米国連邦最高裁判所において連邦政府の代理人として訴訟遂行にあたる役職で、日本には存在しない)が務め、反対側の代理人も最高裁で弁論する資格を持った、憲法に精通したベテラン控訴審弁護士がその任に当たるのが通常である。

今回の政府側主任弁護人役であるヴェリリ訴務長官も、ブッシュ政権時代の訴務長官を務めた反対側の代理人のクレメンツ弁護士も、若き頃、最高裁判事のクラークを勤めたエリート中のエリートだが、クレメンツ弁護士のよどみない弁論と、前例に対する知識の広さには舌を巻くしかなかった。

それに対し、ヴェリリ長官は、時に咳き込み、時に行き詰まるなど、素人目にはクレメンツ弁護士が圧勝した感を受けた。特に問題となった個人の強制的な保険加入条項と非加入者に対する罰金賦課、所謂「Individual Mandate」に関して、保守派のリーダー格であるスカリア判事が「これが合憲なら、政府は国民にブロッコリーを買う事も強制できる事になるが、その点はどうか?」と詰問した時のヴェリリ長官のとまどいが気にかかった。

アメリカの合理的な統治制度と、常に原点に戻って論議する国柄に惚れている私だが、世界で最も裕福な国であるにも拘らず、3200万人もの国民が保険にかかれず、毎年4万人以上の人が、経済的理由で適切な医療に浴せないために命を失っている事実は、市場経済と税金嫌悪の行き過ぎとしか思えない。
フェアプレ-のチャンピオンであった筈の米国は、今や世界最富裕の野蛮国に身を堕したと憤慨していた私には、ヴィリリ訴務長官の苦戦振りが心配でならなかった。

大きな驚きは、5対4の合憲判決の5票目を投じたのが保守派のロバーツ長官だった事と、穏健派のケネでイー判事は、事もあろうに、頑強な保守派の判事の意見を代表して、違憲を主張する少数意見を書いた事だ。今回ほど、判事の内心を読み間違った訴訟事件は誠に珍しい。

判決を詳しく見ると、合憲と言う判断では5:4だが、判決理由は4:4:1で、ロバーツ長官は一部を違憲としていた。

この医療保険改革の経済的効果については、多くの専門家を巻き込んだ沢山の計算が出ており、賛成派が2016年までの通年計算で2千億ドル以上の税金を節約出来るだけでなく、メデイケアの受給者の費用の節約は6百億ドルに上ると発表したかと思うと、反対派は2035年には4兆ドルの増税が必要になると発表するなど、どちらが正しいかは、私の様な素人にはとても判断で出来ない。

「医療保険改革法」はオバマ政権が誇る最大の業績で、その合憲判決は、オバマ陣営を沸き立たせたが、共和党の興奮も掻き立て、いっそう団結させる逆効果も生んだ。

私はこの判決を、米国の人道主義への回帰の始まりと期待したいが、増税による国家の肥大化と取る国民も多く、巻き返しを誓う「茶会党」を中心とした「反税グループ」のヒステリー振りと金に糸目をつけない共和党後援者の財力を考えると、まだまだ波乱は続きそうだ。

いずれにせよ、合憲判断を受けても、議会を通じた骨抜き修正は可能で、ロムニー共和党大統領候補は直ちに記者会見を開き「自分が大統領に選出されたら、真っ先にこの法律を廃止する努力をする」と宣言したくらいだ。

共和党右翼の強欲も酷いが、民主党の有力な支持母体である「訴訟弁護士」ロビーが死守する、現行のTort Law (不法行為法)も行き過ぎだ。Tort Law (不法行為法)を改正し、懲罰的損害賠償を低めに制限し、訴訟天国をなくす事も、医療費の無駄と手続きの簡素化には避けて通れない。

米国の医療制度改革は、1993年の第一次クリントン政権時代からの民主党政権の大きな課題で、その間の論議を詳しく見聞きしてきた私は、日本の医療制度も見捨てたものでは無いと言う印象を持つようになった。

日本の制度の問題は、理念と競争原理に欠け、不能率と悪平等による高コストを、医療従事者と納税者にしわ寄せする無責任な霞ヶ関が、制度の施行を牛耳っている事である。

然し、国の権限を最小に制限し、出来るだけ道州制を導入した後の地方と、医療従事者、保険会社の透明な交渉に任せれば、日本は世界にうらやまれる医療保険制度が実現する様に思う。

これは、素人の真昼の夢だろうか?尚、本件での米国最高裁での白熱した質疑応答にご興味をお持ちの方は、このウエブ動画を覗かれる事をお勧めしたい。米国憲法が如何に国民に近いかと言う事と、日本の最高裁とは比べものにならない透明性と口頭弁論のレベルの高さに感心することは請負である。

北村 隆司