先週、アゴラに『情報化が招く社会の退廃』という辻元氏の意見が掲載された。要約すれば「最近の大学生はすぐ使える情報にばかり関心がある」「これはネット上のすぐに使える情報に頼り切っているからだ」「よって、情報化による社会の退廃を防がなければならない」というものだ。この意見には、著しい違和感を覚えた。今日は、「最近の大学生はすぐ使える情報にばかり関心がある」に絞って僕の意見を書こう。
なぜ考えるのが好きな学生が合格するように、入学試験を設計しなかったのだろうか。高校教科書の範囲から入学試験問題を出題するのが原則だが、辻氏も書いているように、高校の教科書には定理の証明も載っている。公式を覚えれば解ける問題ではなく、定理の証明のように思考力を必要とする出題をして、学生を選別できたはずだ。
「この科目は思考力を育てることを目的とする」と辻氏はシラバスに書いているのだろうか。それでも、「正の関数の積分が負になる」といった答案を提出した学生は不合格にすればよい。僕は「自分で考える」ようにいつも学生を指導している。試験にも「あなたの考えを書きなさい」という問題を出す。明確に自らの考えが書いてあればよい成績をつけている。
伊東乾氏の書いた『東京大学には入ったけれど・・・ああ無常 人生の失敗を始める頭の“良すぎる”学生たち』を読んだ。東大にも自分で考えられない学生がいるという話だが、「見たこともない問題を毎週宿題に出す」など、伊藤氏の努力がよくわかる。拒絶して学生が心を閉ざしてしまわないように、伊藤氏は工夫し相談している。
辻氏が教員として取り組まねばならないのは学生の思考力を育てる教育だ。「情報化による社会の退廃を防がなければならない」などと飛躍する前に。
山田肇 -東洋大学経済学部-