「道州制」の実現にやっと見えてきた曙光

松本 徹三

私はアゴラ創設時からの執筆者の一人なので、これまで300本以上の記事を寄稿しているが、「道州制」について論じたものとしては、今から3年以上も前の2009年3月7日付の記事と「本当の地域主権とは」と題する昨年7月18日付の記事がある。


前者の方は、半分ぐらいは、「道州制」とはあまり関係のない「省庁の物理的な分散」と「電子化による行政の透明性確保」の問題を語っており、肝腎の「道州制」のメリットについては、「国民の政治に対する関心を刺激する」「各道州間で政策競争を行わせる」「将来の公選首相の候補者となりうるリーダーを育成する」の3点を挙げただけだったが、後者では、思い切って日本を「四つの州(東北州、東京特別州、中部近畿州、西南州)*から構成される連邦国家」にするという大胆な提言をしている。

*「東北州」は現在の北海道と東北地方に北関東の3県と新潟県を加えたもの。「東京特別州」は東京都、神奈川県、埼玉県、千葉県で構成。「中部近畿州」は中部地方と近畿地方から新潟県のみを外したもの。「西南州」は中国・四国と九州・沖縄。昨年7月8日付の記事では、兵庫県を近畿地方から外して「西南州」に入れるとしていたが、これはあまり意味がないので訂正したい。ここまで大括りにすれば、各州とも、人口でもGNPでも世界の普通の国並であり、規模の利益を特に大きく損なう危惧はないと考える。

この両方の記事に共通するのは、「競争が全てを活性化させる」という考えだ。後者では、四つの州の「リーダー(知事)」と「これを補佐する官僚群」に、「政策」と「それがもたらす結果」を競わせることを具体的に提案しているが、これは、「そうすればきっと現在の『閉塞状態』に突破口が開かれるだろう」という期待があってのことだ。勿論、「外交」と「防衛」を筆頭に、連邦政府が一元的に取り仕切る事柄も多く、「通貨政策」も共通の中央銀行による一本化が必要だが、「租税制度を含む経済政策」や「産業育成策」「エネルギー政策」「社会保障制度」「教育制度」「医療制度」「災害に備える国土整備計画」等々は、基本的に各州の決定に委ねられるべきだ。

考えて見れば、「道州制」についてはもうかれこれ今から6年近くも前の2006年から語られ始めたにもかかわらず、その議論には殆ど何の進展も見られていない。そもそも、「国主導の道州制の議論(都道府県を単純に合体させて監督業務を合理化したいという発想)」と「地方自治拡大の観点から道州制の議論」では方向性が正反対なのだから、議論に進展が見られる筈はないのだが、具体論になればなる程、「どことどこを結びつけ、どこを州都にするのか」というような話ばかりになり、「州都になれないのなら、現状通り県庁のある市である方がよい」といったレベルの反対論が噴出するのだから、真面目に議論する気にもなれない。

しかし、もっと基本的な問題としては、「道州制」をすぐに必要とする人がどこにもいなかったのが問題だったのではないだろうか? 抽象的な長期的メリットだけでは誰も本気で動かない。そうなると、問題点ばかりが気になるようになる。現実に、当初の世論調査では、反対の方が賛成より圧倒的に多かった。

ところが、ここに橋下さんという人が出てきた。彼は、当然、地方分権論者だが、抽象的な「地方分権論」を語るのではなく、現実に大阪府と大阪市を合体させて大阪都を作り、ここに大きな権限を国から委譲させて、より住民と密着した形でこれを運用しようとしている。もしこれが実現すれば、基本的に同じパターンで「道州制」による地方分権が実現出来るかもしれないという期待が生まれてきている。橋下さんは「道州制」推進論者でもある。

橋下さんについては、「橋下徹氏に期待するもの」と題する3月19日付の私のアゴラの記事を再度ご参照頂けると有難い。私が彼に期待するところは、この時から変わっていない。間違っても、機の熟さない時点で「第三極」のシャッポなどには担ぎ出されないようにして欲しいと強く願っている。大阪都(特別市)を実現し、しっかりとこれを運営する一方で、国会では「健全な野党」として、全ての問題について、是々非々の対応に徹して欲しい。橋本氏自身が、「大阪都(特別市)の長」としても、「国会での有力野党の長」としても、多くの人が納得できるような実績を挙げれば、より広い層の人達の支持が得られると共に、政権党に対しても影響力が増し、確実に次が開ける。

(それはそうと、私が、前出の文章の中で、でわざわざ「大阪都(特別市)」という表記を使ったのにはそれなりの理由がある。今の構想だけなら、「都」よりも「特別市」の方が無理のない表記だと思うのだが、「都」でもいいかなあと思うのは、これが将来の「州都」に昇格する事まで視野に入れるべきだと思うからだ。)

さて、話を「道州制」に戻すと、同じ「道州制」という言葉を使っていても、肝腎の「道州が持つ権限」については、人によってその内容が全く異なる事が分かる。「道州」が持つ権限を「広域行政権」だけとするなら、何も大騒ぎする程の事はない。当然「財源(徴税権)」を持つ事が「真の地方自治実現の為の道州制」の基本でなければならない。従って、何よりも先ず、ここのところをきっちりと決める事が必要なのに、それを放っておいて、「地域割りをどうするか」とか「州都をどこにするか」等という議論ばかりが先行しているのは、何ともレベルが低く、情けない限りだ。

しかし、私は、個人的には、「道州」の持つ権限を「一定範囲内での立法権」にまで拡大すべきだと考えている。それ故、私は昨年7月8日付の記事を書いたわけだが、その時には「夢のまた夢」程度にしか思っていなかった。しかし、現実にこれを推進しようとしている人達(道州制.com)は、私以外にも結構いる様だし、何事によりドラスティックな改革を志向する橋下さんや、彼を推す人達の考え方次第では、この様な構想とて、実現の可能性が全くないわけではないようだ。

私が何故これに熱心かと言えば、繰り返しになるが、一にも二にも、「真にリーダーシップを持った責任感の強い政治家」の出現を促す為だ。逆に言えば、実際に責任を持って国家経営をやり遂げるに足るだけの「緻密な計算」もせずに、「絶対反対」を連呼し、庶民の耳に快く聞える公約のみを並び立てる「無責任な政治家」をふるいにかける為だ。

将来の連邦国家「日本」の首相は、住民の直接選挙で選ばれるべきは当然として、基本的には、「独立性の強い州」で十分行政手腕を発揮し、州の住民の生活を向上させる責任を実際に果たした「州知事」の中から選ばれるべきだ。最近はそういった能力を持たない首相を数多く見てきただけに、私にはその思いが極めて強い。