「「エネルギー・環境に関する選択肢」に対する御意見の募集(パブリックコメント)」に対する私の意見

齊藤 豊

概要:
原発ゼロシナリオを支持する。現状の原発は想定外の事故がおきるリスクのとれないものだ。リスクの取れないものを社会インフラにすべきではない。


意見:
エネルギー・環境に関する選択肢として、原発ゼロシナリオを支持する。現状の原発は、2011年3月11日の東京電力福島第一原子力発電所事故で明らかになったように想定外の事故がおきるものだ。

社会インフラは、安心・安全なものでなくてはならず、現代社会では、リスクのとれるものが最低限の安心・安全なものと考えられる。リスクの定義は、平成17年7月1日に原子力安全・保安院、原子力安全基盤機構が出した「国際規格等における「リスク」の定義について」(出典:http://www.meti.go.jp/committee/materials/downloadfiles/g50803a613j.pdf)
によれば、「危害の発生確率と危害のひどさの組合わせ」や「事象の発生確率と事象の結果の組合わせ」などとなっている。ここから、リスクとは事象の発生確率が導きだせることが必須条件となり、想定外の事態がおきることはリスクの範囲外になる、と理解できる。

昨年の東京電力福島第一原子力発電所事故が想定外のものであったことは明白であり、政府や東電はそれを例外として扱い、通常の事故とは違うと主張してきた。この事故が想定外のものであり、未曾有の被害を引き起こしたものであるならば、原発はリスクのとれないもので、最低限の安心・安全なものではない、ということになる。リスクの取れないものを社会インフラにすべきではない。よって、私、齊藤豊は、エネルギー・環境に関する選択肢として、原発ゼロシナリオを支持する。

補足(パブコメには書かなかったこと):
私は、現状の原発の稼働には反対だが、原子力開発にかんする研究は止めるべきではない、とも考えている。原子力関連技術が進歩し、社会インフラとしてリスクの取れる状態になれば、原発は稼働してもよいと考える。これから50年、100年を考えたときはその可能性は高くなる、と思われるので、今、ここで原子力関連研究は止めるべきではない。