「中長期エネルギー戦略」議論の進め方

松本 徹三

民主主義国家においては、概ね「自分の生活が第一」と考えている人達が選挙で間接的に政府を選ぶのだから、別に党名でそれを謳っていなくても、どんな政党でも「国民の生活が第一」という考えを前面に出して選挙戦を戦うのが普通だ。一方、「どうすれば国民の生活が守れるか」については、政党や人によって考えはそれぞれに異なるだろうが、「経済がうまく運営されなくては国民の生活は守れない」のは明らかだから、「経済運営のあり方」が選挙戦の争点になるのも、これまた本来のあるべき姿だ(どんなに美しい事を言っていても、経済政策が失敗して国民の生活が不安定になれば、その政権は必ず崩壊する事を歴史は示している。)。


「経済運営のあり方」と言っても、一般国民にマクロ経済の事や財政の事を話しても理解は得られないから、「具体的な施策」についての賛否を問うしかない。しかし、「具体的な施策」と言っても、「消費増税は是か否か」というような「抽象的な問いかけ」は意味をなさない。税金が好きな人はこの世には皆無で、増税しないでも済むのなら誰でもその方がよいに決まっているからだ。だから、増税を考える人達は、「増税しないとこういう理由で財政が破綻し、結果としてこういう事が起る。それでもいいですか?(それなら増税の方がまだマシと思われませんか?)」という聞き方をしなければならない。つまり、より具体的な「二者択一」を問うのでなければ、意味がないという事だ。

今政府が国民に問いかけている「中長期エネルギー戦略」についても同じ事が言える。「エネルギー戦略」が日本経済に大きな影響を与えるのは先ず間違いはないのだから、これを国民に直接問いかける事は正しい。しかし、それが、「原発は0%か、15%か、20~25%のいずれがよいか」というような短絡的な問いかけになっていては意味がない。「原発をどうするか」は「中長期エネルギー戦略」の要の一つだから、当然これについても問わねばならないが、あくまで「全体のエネルギー政策の一部としての原発」に対する問いかけでなければならない。

私は、「問いかけは『二者択一』でなければ意味がない」言ったが、8月13日付の私のアゴラの記事の中でも述べたように、「命かカネか」というような「抽象的な二者択一」では勿論意味がない。「この仕事を引き受けてくれれば、あなたはスラムから脱出し、衣食住の心配のない健康で文化的な生活が送れるようになりますが、この仕事には事故で死ぬ確率が1%ぐらいあります。しかし、あなたには他に選択肢はないので、この仕事を引き受けてくれなければ、一生今のままのスラム暮らしから抜け出せません。さあ、どうしますか?」こう問われてはじめて、人は右すべきか左すべきかを真剣に考えるのだ。

そして、ここで重要なのは「数字」だ。事故の確率が1%(百人に一人)もあると言われれば、恐ろしくなってスラム脱出のチャンスを断念する人もいるかもしれないが、これが0.1%(千人に一人)ということになれば、思い切る人の数はずっと多くなるだろう。

政府の問いかけに対し、政権与党を含めた各政党は勿論、色々な団体や巷の有志の人達も競って提案を出すべきだ。しかし、その提案は、「総合的な戦略」を語るも出なければならず、且つ「数字」で裏打ちされたものでなければならない。(少なくとも「政党」の場合は、「数字」が出せない程の能力しかないのなら、「政党」の看板を外して欲しい。)具体的には、全体を「利用者」「送配電」「発電」の三つのパートに分けて、その三つのバランスが取れている事を示した上で、そのそれぞれにつき、1年後、3年後、5年後、10年後の「あるべき姿」と「如何にすればそれが可能になるか」を示して欲しい。

「利用者」については、「生産部門(第一次・第二次産業)」「サービス・流通部門」「一般消費者」の三つのグループに分け、電力の「年間総需要」と「ピーク時の需要」を算出し、節電を求めるなら、その目標数値と方策を示して欲しい。また、生産部門やサービス・流通部門に関しては、「もしこの需要に見合った供給がなされない場合には、如何なる不都合が生じるか」を明記して欲しい。

「送配電」については、「発電」と分離して独立させるべきと考える人は、その具体的な方策とそれによって得られるメリットを、出来るだけ「数字」を伴う形で示して欲しい。スマートグリッド導入に多くのメリットを期待している人達には、特に具体的な提案をお願いしたい。逆に、「送配電を発電から分離すればメリットよりデメリットの方が多い」と考えている人は、その根拠を、これまた数字を伴う形で示して欲しい。

「発電」については、先ずは、「自家発電(自家消費及び売電)」と「電力会社からの購入」に分けて、次に、発電の方式に関しては「化石燃料」「原子力」「水力」「その他の自然エネルギー」「電力輸入」の5項目に分けて、それぞれに目標発電量とコストを示して欲しい。

「化石燃料」については、CO2排出量別に分類して、年間消費量とCO2の年間排出量を計算して欲しい。また、年間消費量の確保に必要な外貨も算出し、それが日本の貿易収支にどのような影響を与えるかも示して欲しい。

「原子力」については、単に「稼動コスト」だけではなく、「安全の確保に必要なコスト」、「万一の事故が起った時の対応コスト」も何らかの方法で算出し、片手落ちにならないようにして欲しい。勿論、徹底した反原発論者なら、「論じるに及ばず」の一言で片付けてもらっても別に構わない。

「水力」については、現状にあまり付け加える事はないかもしれないが、あまり大きな工事をせずに、いたる所で小まめに発電する「小水力」は、日本では一つの面白い選択肢かもしれない。

「その他の自然(再生可能)エネルギー」については、取り敢えずは、「太陽光」「風力」「地熱」「その他」の四つに分類し、それぞれの年次毎に目標発電量とコストを算出して欲しい。当然の事ながら、ここではコストと立地条件が極めて重要なファクターになる。

「電力輸入」の問題については、過去についてはあまり議論されてこなかったが、現在の日本の状況を考えるなら、私は5~10%程度は輸入で賄ってもよいと思っている。コストさえ合えばモンゴルも面白いかもしれないが、私が個人的に興味があるのはロシアからの輸入であり、この事については、昨年の8月29日付の私のアゴラの記事でも触れた。コスト的には相当有利のように思えてならない。

それぞれの発電方法の優劣については、勿論コストが最大の判断材料だが、「化石燃料」については「CO2の排出」や「外国(特に中東)への過度の依存リスク」という大きなマイナスが、「原子力」については「万一の事故リスク」という大きなマイナスが、それぞれに厳然としてあるのだから、総合評価においては、このマイナスをどのように評価しコストに上乗せするかを、よく検討して明示して欲しい。

最終的には、各政党(各提案者)とも、自らの推奨する「総合プラン」と幾つかの対抗プランを示し、自分達の推奨する「総合プラン」が何故他の対抗プランより優れているかを示して欲しい。当然の事ながら、その時には、この「マイナス」のファクターの評価が極めて重要なポイントになる。

具体的には、「CO2の排出がX%抑えられるのなら、国としての総発電コストはY%程度は上がっても良い」とか、「原発事故のリスクをX%下げられるなら(或いはゼロに出来るのなら)、国としての総発電コストはY%程度は上がっても良い」とかの判断基準を示すことによって、自らの「総合プラン」の正当性を主張すべきだ。この判断の基準は、当然その政党や提案者の「価値観」に基づくものであり、従って、各者の間に相当の違いがあるのは当然だが、結局は、その「価値観」の相違を一般国民(有権者)がどう評価するかによって、国のエネルギー戦略が決められる事になって然るべきだ。

当然のことながら、これはかなり大変な仕事なる。しかし、逆に言えば、「これだけ重要な事を、この程度の仕事(調査・分析・評価)もしないで決める(或いは自説を主張する)のは如何なものか」とも言える。企業が事業方針を決めるに当たっては、あらゆる調査を行い、あらゆる分析をして、鳩首協議してから結論を出す。国の一大事についての政策決定が、その程度の調査も分析もなしに行われるような事は、そもそもあってはならないのではないだろうか?

実際にこのような数値分析をしてみれば、自ずと明らかになる事だが、「経済効果(コスト)」がはっきりと数字で示せるのに対し、「CO2(地球温暖化)リスク」や「原発の事故リスク」を数値で示そうとすると、各人の「価値観」によって極めて大きな差が出てくるだろう。

例えば、極端な原発廃絶論者なら「原発の事故リスク」を「無限大」だと主張するかもしれない。かつて社会党の党首だった土井たか子さんは、「憲法改正はダメ。ダメなものはダメ」と言ったが、「原発」をコカインかヘロインのように感じている人達にすれば、「原発」も「ダメなものはダメ」という範疇に入る事になるのだろう。こうして、「憲法改正」の議論の場合と同様に、国論は大きく割れ、身動きが出来なくなってしまう。

さて、ここで脚光を浴びて然るべきは、当然のことながら、こういった「マイナス」のファクターを勘案しないでよい「自然(再生可能)エネルギー」だ。もし「自然エネルギーの比率を大幅に上げても国民経済にさしたるコスト負担は与えない」という事が言い切れるならば、国論の亀裂は最小限に抑えられるだろうからだ。

しかし、その「自然エネルギー」に対する信頼も、主としてその「高コスト」の為に、今や世界的に大きく揺らいでいる。実を言えば、私自身も、「もし自然エネルギーがこれから大幅なコスト低減に成功しなければ、日本のエネルギー戦略の中で大きな地位を占めるまでには到底至らないだろう」と見極めるまでに至っている。何故なら、日本を含めた先進諸国は、今や発展途上国との深刻な生産コスト競争に直面しているが、発展途上国は先進諸国程「CO2(地球温暖化)リスク」や「原発の事故リスク」に敏感(神経質)ではないからだ。

「自然エネルギー」には、「風力」や「地熱」という選択肢もあるが、チャンピオンは何と言っても「太陽光」だと私は思っている(「バイオ」は、世界的な食糧難を加速させる事になりかねないので、私は推さない)。その理由は二つある。

先ず、太陽光発電というものは、シリコンの原子などが一定の光エネルギーの照射によって構造変化する事を利用するもの故、地球上に無尽蔵にあるシリコンの性質を徹底的に解明して、それを最高の効率で利用する技術が確立されれば、その発電効率を大幅に引き上げられる可能性がある(どんなに工夫してもせいぜい数十%程度の効率アップしか出来ないであろう「風力」や「地熱」とは異なり、半導体技術と根を同じくするこの技術には、一発で発電コストを現在の半分とか三分の一まで下げる可能性が秘められている)。因みに、太陽光発電とペアを組むべき蓄電池の技術についても、同様の可能性がある。

次に、太陽光発電は、大規模にも、中規模にも、小規模にも運営出来、地産地消型(コミュニティー型)の電力流通を可能にする。中小規模の発電の場合は、大規模送電網に負担をかけないで済むのみならず、最終ユーザーの節電意識の向上にも資する事になる。

今でも、「何とかして自分でも地球環境の保全(エコ)に貢献したい」と考えている多くの善意の人達は、多少は持ち出しになるリスクも覚悟の上で、自分達の家の屋根に太陽光パネルを設置している。こういう人達は、毎日の電力需給を小まめにチェックしているうちに、自然に節電の努力も怠らないようになってきている(長野県の地方公務員に嫁ぎ、二児の母になっている私の娘などはこの典型だ。彼女は、エコの為に、結婚した時に祖母から貰った虎の子の100万円の貯金を、高価な太陽光パネルの設置に全部つぎ込んでしまった程なので、毎日の節電にも極めて意欲的だ)。

しかし、視点を厳しい経済問題に移すとどうだろうか? 8月10日付のアゴラの記事で、国際環境経済研究所(IEEI)の主席研究員である竹内純子さんがドイツのFITの状況を詳しく報告してくれているが、世界に先駆けて2000年に大規模な買取保証制度を発足させて太陽光発電を奨励してきたドイツは、今や完全な反省モードになっており、シュピーゲル紙は、この奨励策を「環境政策の歴史上最も高価な誤りだったかもしれない」とまで評していると言う。

具体的には、この政策によってドイツの太陽光発電量は年間2700万キロワットまでになり、現時点で断トツの世界一だが、その為に支払ったコストは膨大だった上に、ここまでしてもドイツの全電力使用量の僅か3.3%にしかなっていないと竹内さんは言っている。それ故、ドイツの両院協議会はこの6月に政策の抜本的な変更を行った。新しい法案では、買い取り価格は今後は20-30%引き下げられる一方、年間供給量が5200万キロワットに達した時点(2016年頃になると予測)では、買取制度そのものを廃止する事になった由である。

実は、私は、このニュースには全く驚いていない。小国のオランダやデンマークとは異なり、一大工業国のドイツではこの様な政策は長続きしないだろうと、私はずっと以前から予測していた。ドイツの政権党は、第三党である「緑の党」を取り込む必要があるから、あのような思い切った政策を早い時点で打ち出したわけだが、「数字の裏付けのない政策は、美しく見えるものであればある程、いつかは破綻する運命にある」事を、私はこれまでに数多くの事例から学んできていたからだ。

「ドイツ政府もそんなに目が見えていなかったわけではない」とは私も思っている。彼等は恐らく、私と同じ様に、「太陽光発電は半導体技術だから、そのうちに技術革新が進み、コストが下がるだろう」と思っていたに違いない。しかし、甘い政策によって甘い味を覚えてしまった人達には、血の出るような技術革新の意欲は生まれなかったようだ。結果として、世界最強を誇っていたドイツの太陽光パネルメーカーは、中国メーカーの安値攻勢の前に窮地に陥り、倒産の憂き目を見た。

実は、私は、今年の初めに、ささやかではあるが、私自身にとっては重要な一つの決断を既にしている。それは「太陽光発電の抜本的な低コスト化」を、これからの自分の生涯をかけて仕事にするという事だ。現在の日本の「エネルギー戦略」についての先の見えないような国論の亀裂を、短時日のうちに正常化させる為の一つの方策は、「自然エネルギーの将来をはっきりと目に見えるようにする」事だという強い思いが、その背景にある。

私は、以前から、「国の補助金は産業のインキュベーションの為にあるべきで、最期まで補助金に頼らなければならないような産業は産業ではない」という考えを持っている。だから、「太陽光発電」についても、具体的に技術革新の可能性が見えるまでは、むしろ懐疑的な思いが強かった。しかし、或る時から、その可能性が自分にははっきり見えるようになり、「何としてもこの可能性を実現させて、それを日本再生の一助にしたい」と強く思うようになった。私はいい加減な気持でこんな事を言っているわけではなく、実際に既に行動も起こしている。具体的な話をするのはまだ尚早だが、何れはその時が来るだろう。

さて、最後に重要なコメントを一つ付け加えたい。或る人から「現在の太陽光発電の42円の買取価格はベラボーに高い。電気代の値上げにつながるようなこんな事は、直ちに止めるべきだとは思わないか?」と聞かれているので、それにきちんと答えなければならないからだ。

私の答は次の通りだ。

「今年の買い取り価格を42円としたのは必要な事だったと思う(関連業界の人達は、この様な支援に支えられて、周辺のエコシステムの整備に励み、新技術による低コストのパネルが販売可能になるまで、諦めずに頑張っていて欲しい)。しかし、このような支援措置が、特定の関係業者に一時的な利益を与えたり、投機的な人達の参入を促したりするものでは、決してあってはならないから、その運営には十分な工夫をして欲しい。」

(いつもの繰返しになりますが、この記事は「ソフトバンクモバイル特別顧問」という私の現在の肩書きとは一切関係のない立場で書かれている事を、あらためて申し添えます。)