ボールは蹴ってみるもんだ。 --- 中村 伊知哉

アゴラ編集部

デジタル教科書。2010年にぐいっと動きました。タブレットなど教育にも使えるデバイスが出そろってきたのと、政権交代で政府が力を入れ始めたのが共鳴したのです。政府は2020年に一人一台環境を整備することを目標に掲げ、総務省と文科省とが連携して20の小中学校で実証研究を進めるに至りました。

しかしその後、事態はなかなか進みません。政府関係者と話しても、実証研究の成果を上げていくことが必要だいうのが基本方針で、実証研究が事態を進めないための仕掛けにも見えてきます。しかも総務省のフューチャースクールが仕分けに遭ってしまうありさまで、政府もフラついています。


だいいちデジタル教科書を標榜していますが、デジタル教科書は存在しません。学校教育法、教科書発行法、著作権法上、教科書は「図書」と定義されていて、つまり、紙でないと認められないのです。いくらデジタルががんばっても教科書にはなれないのです。

早く教科書になりたい!

暗い定めを吹き飛ばすため、制度問題にも取りかからねばならない。教科書の法的な位置付け、検定制度との関わり、著作権法上の扱い、の3大テーマに取り組む必要がある。しかしそれも実証研究を待て、という姿勢に門前払いを食ってきました。民間企業としても政府の反発を恐れ、表向きは言い出しにくいことでした。いわば、タブーだったのです。

しかし、デジタル教科書教材協議会(DiTT)の事務局を務める「学」のぼくらは別に死んだってかまわない、そもそもそういう勢いで作った協議会だから、ここはもう一歩グッと進もうよ。ということで、4月頭に政策提言を発出しました。

  1. デジタル教科書実現のための制度改正
  2. デジタル教科書普及のための財政措置
  3. 教育の情報化総合計画の策定・実行

の3項目。制度改正を正面に据えました。併せて、「DiTTはこの計画の実行・推進のためのプランを別途委員会を設置して策定する。」ことも明記。自ら法案も用意して突きつけることにしました。

叱られるだろうな、と思っておりました。しかし、驚いたことに、その後、化学反応が起こります。まず、政党の反応。民主党、自民党、公明党ともに、ワーキングチームや議員連盟から声がかかり、プレゼンと議論の機会を得ました。「前向きにやりましょう」、「基本法を作ろう」、温度差はありながら、一部に慎重意見も混じりながら、基本的に好感触です。選挙が近いという事情だけではない。前進させようという気運が高まっているようです。

そうした場には霞ヶ関も同席しています。それも作用したのでしょうか。あるいはぼくらが霞ヶ関に提言を持ち回っていたのが効いたのでしょうか。ぼくが会長を務める知財本部の会合で、内閣官房から下記の文書が提出されました。

「児童生徒1人1台の情報端末によるデジタル教材の活用を始めとする教育の情報化の本格展開を目指して義務教育段階における実証研究を進めるとともに、実証研究などの状況を踏まえつつ、デジタル教科書・教材の位置付け及びこれらに関連する教科書検定制度といった教科書に関する制度の在り方と併せて著作権制度上の課題を検討する。(総務省、文部科学省)」

驚きました。民間委員として全く異存ありません。気が変わらないうちに霞ヶ関内を調整して閣議決定してもらうことを祈りました。そして5月29日、野田首相以下全閣僚が出席する知財本部会合でこれを了承、内閣として正式決定をみました。ぼくもその会議には出席し、決定の瞬間を確認しました。政府は自らに義務を課しました。

この文章には4つのポイントがあります。1)デジタル教科書・教材の「位置付け」、つまり法律上デジタルを含むことにするかどうか、2)教科書検定制度に乗せるかどうか、3)著作権制度上どう扱うか、の3大テーマを検討するということです。

タブーが破れました。これで入口に立ちました。大前進です。ただ、それでも「検討」するに過ぎません。これを「実現」するまでやらねばなりません。検討から実現までには10ぐらいの険しい険しいステップがあります。それでも0が1になった意義は大きい。

もう1つのポイントは、「つつ」です。実証研究などの状況を踏まえ「つつ」、制度を検討するとされたことです。それがどうした? と思われるかもしれません。でも、霞ヶ関出身としては、これは「おおおっ」と声が出たぐらいの事件。大きな意味があります。

これまでの政府方針には、この「つつ」がなかった。だから、つつがなかったw。「つつ」がなければ、研究を踏まえないと、次に進めなかったのです。「成果を待って」次に行こうという立場だったのです。だから、実験をし続けていると、いつまでたっても本格化できなかったのです。でも、「つつ」が入ると、同時並行になる。研究しながら、もう今年から、制度論に移行できるということです。さあ、早くやろう。

ボールは蹴ってみるもんだ。シュートを打ってみれば、ゲームは動く。

しかし、過去20年以上この分野の研究が続けられながら、タブーを破る議論にならなかったのはなぜなのでしょうか? 今回ぼくはよくわかりました。要するにやる気がなかったんですよ。これに携わってきた全員に。永田町も霞ヶ関も学界もね。

ここはやる気のある人たちを募って、次のステージに進みたい。そこで、この機に「教育情報化ステイトメント」を公表し、賛同者を集めることにしました。ここです。

DiTTの政策提言と同じく、制度改正、予算確保、計画の策定と実行の3点を進めよとの提言に、多くの有識者が賛同を表明してくれています。東浩紀さん、猪子寿之さん、大崎洋さん、角川歴彦さん、川上量生さん、河口洋一郎さん、季里さん、佐々木かをりさん、佐々木俊尚さん、白河桃子さん、孫正義・孫泰蔵兄弟、田中孝司さん、津田大介さん、夏野剛さん、中山信弘さん、村上憲郎さん、茂木健一郎さん、山下徹さん……。

さらに重要なことは、1月足らずで全国45自治体の首長が賛同の声を寄せてきたことです。政府は動き出したというものの、予算を仕分けてしまうなど、全面的に信頼をするわけにはいきません。この動きは地方から、現場から盛り上げていく必要があります。教育情報化は、東京で政府のドアをドンドン叩くのが第一ステージとすれば、やる気のある首長たちと全国で風を起こしていく第二ステージに入ったと言えるでしょう。

おっと、次のホイッスルが鳴ったな。蹴りに行きます。


編集部より:このブログは「中村伊知哉氏のブログ」2012年9月17日の記事を転載させていただきました。
オリジナル原稿を読みたい方はIchiya Nakamuraをご覧ください。
※編集部中:文中、「大崎洋」氏の「崎」は「つくり」の上が「立」です。機種依存文字のため変更してあります。