脱原発バブルの崩壊

池田 信夫

政府は「原発ゼロ」を打ち出した「革新的エネルギー・環境戦略」を閣議決定せず、参考文書とした。これは大きな違いである。閣議決定には法的拘束力があり、経産省のエネルギー基本計画もそれにもとづいて策定しなければならない。しかし今日の閣議決定は、この戦略を踏まえて「柔軟性を持って不断の検証と見直しを行いながら遂行する」となっており、今後のエネルギー政策を何も拘束しない。

この「戦略」は先週の記事でも書いた通り、矛盾だらけで実行不可能な計画だった。「原発ゼロ」というのは朝日新聞が打ち出したキャンペーンだが、もともと大野博人論説主幹がみずから言うように「できるかできないか考えないでやろう」という技術も経済性も無視した話だった。民主党や朝日新聞に代表される日本の「亜インテリ」は、なぜこんなバブルにとりつかれたのだろうか。


その一つの原因は脱原発=進歩的というイメージだろう。何を隠そう、私も80年代にはそういう思い込みで、NHKで反原発キャンペーン番組をつくった。当時は原発推進が国策で、それに対して「経済のために命を犠牲にするな」という反対派はインテリで正義の味方に見えたし、自分もそう見られたいからだ。

もう一つは、放射能の恐怖だろう。福島事故の直後には「東京まで死の灰が飛んでくる」といったデマが流され、沖縄まで逃げた人もいる。特に子供をもつ主婦に多い。しかし福島でも住民の被曝線量は最大でも25mSvだから、発癌リスクはゼロといってよい。つまり原発事故のリスクは、今まで想像されていたよりはるかに小さいのだ。

もちろん放射線は危険だが、それはカドミウムやダイオキシンと同じく、自然界にはごく微量しかない。原発事故も危険だが、その確率は非常に低いので、リスクは小さいのだ。そういう初歩的な確率論も理解できない人が「事故が起きたら東電のようになるから関電は原発を廃止すべきだ」などという。同じ論理でいえば宝くじに当たったら3億円もうかるのだから、関電は宝くじを買ってLNGの損を埋めればいい。

リスク(確率的な期待値)は損害×確率で決まるので、損害が大きくても確率が小さければリスクは小さくなるし、逆に損害が小さくても日常的な出来事のリスクは大きい。GEPRでも示したように、携帯電話でも10年以上使うと発癌率は20%上がる。これは100mSvの放射線の0.5%よりはるかに大きなリスクである。5mSvの放射線を除染するなら、携帯電話を禁止すべきだ。

そして最大の要因は、マスコミが毎日、大量に原発報道を流すことだ。私が事故の2週間後に書いたように、メディアは珍しい(小さい)リスクを誇大に報道するバイアスをもっているからだ。普通の読者はその報道量がリスクの大きさを示すと思ってしまうが、これは誤解だ。ニュースバリューは、重要性ではなくおもしろさで決まるのだ。

たとえば大人が毎年3万人も自殺してもほとんどニュースにならないが、中学生がいじめで自殺したら大きなニュースになる。それは重要だからではなく、珍しくて話題になるからだ。しかし情報リテラシーのない読者は「中学生の自殺が増えている」とか「いじめは深刻な社会問題だ」と思って大騒ぎする。原発もそれと同じだ。

バブルには外部性があるので、朝日新聞がプロパガンダを流すと、新聞レベルの知識しかない大衆が「脱原発をいうのが改革派だ」と思い違いし、民主党が「原発ゼロを打ち出せば必敗の選挙に勝てるかもしれない」という幻想を抱く。彼らがそれにそった政策を出すと、朝日が持ち上げて亜インテリが付和雷同する・・・というループで発生したのが脱原発バブルである。

しかし彼らの脅しは、すべて科学的に反証されてしまった。収益還元価格から乖離した資産バブルがいずれ終わるように、脱原発バブルもいずれは崩壊する。バブルのコアになった民主党政権の終焉は、そのきっかけになるだろう。今回の民主党の大失態は、バブルの終わりの始まりのように見える。