経済学者は嫌いだ

小幡 績

私は、経済学者が嫌いだ。

私も経済学者であるが、だから、毎日、自己嫌悪である。

彼らが頻繁に陥る誤謬は、論理的に議論するが、議論の前提が間違っているために起こる。

年金問題も、日本の成長率を高める問題も、少子化問題も、そして、先週から流行っている女性の社会進出問題もだ。

あまりにナイーブな議論で、小学生並と言ったら小学生に失礼だろう。

日曜でもあることだし、すべて議論しても疲れるので、今日は女性の社会進出問題の議論に絞ろう。


そもそも女性の社会進出って、なんだ。

会社で働いている女子は偉くて、主婦は偉くないというのか。主婦は家事のプロフェッショナルだ。

そんなことを言っているのではない。

まあ、それも言っておくか。主婦が減ると日本のイノベーションは減ると思っているから、これも大事な議論だ。後で議論しよう。

根本的な誤りは、社会とは進出するものか、ということである。

社会は社会である。

生まれた瞬間に、我々は社会に存在する。

それは自分の意思では選べない。

同じような趣旨で、どの国籍を選ぶか、という議論があったり、日本を脱出して米国人になる、シンガポール人になるなどという議論もあるが、どんなことをしても、日本社会に生まれ育った人間は、その歴史から逃れることは出来ない。

これは血脈の話ではない。自分が身を寄せた社会の影響から逃れることは出来ず、その歴史のほとんどは自分が選択している気になっているが、それはまったく違うということだ。

女性の社会進出の話に戻ると、給料をもらう職業に就く、あるいは会社を立ち上げてビジネスをする、ということが社会進出という議論はまったく無意味な議論である。

同時に、就業率が低いことが遅れているかのような議論がされているが、経済が発展した社会の就業率は落ちるのである。ほとんどの国は、貧しいから、健康なものは全員金銭を得るために働かないと食っていけない。余裕が出てくれば、金銭のため以外に自分の時間を使うようになり、金銭的契約関係としてしか社会にかかわらないなどということは止めるようになる。

したがって、彼らの言う女性の社会進出が日本に必要だ、というのは、経済的に見れば、日本が最貧国に陥るのを防ぐために、魂を売って、カネをえるということで、それが必要だという認識なら仕方がない。

しかし、日本の現状は異なる。

日本はもう少し潜在力があるのに十分活かせていないのではないか。そういうことだ。

それはそのとおりだ。

では、そのためには、女性のサラリーマン化を促すということか。違うだろう。

日本の競争力の源泉は、異常に安い賃金で働いてくれる、高学歴で育ちも良い、頭脳、性格とも優れており、金銭的待遇が不公平であっても、仕事にやりがいさえあればいいと考えている、主婦のパート従業員、あるいはスーパー店長がいることだ。

これだけ、現場を任せても現場リーダーシップが成り立ち、それが主婦と言う低コストなカテゴリーの労働者で実現できる。これこそ、日本の流通・小売、あるいは金融機関の現場の能力の高さ、様々な場面での日本の素晴らしさの源泉なのだ。

また、日本でネットワークビジネスが世界一盛んで、ブログなどに始まるレコメンド事業の成功、アットコスメ、クックパッドの成功などが相次いでいるのは、経営者にとってはよだれが出るほどおいしい貴重な主婦層がいるからなのだ。

そんな創造性あふれる主婦たちを、奴隷のようなサラリーマンにしたら、付加価値は生まれなくなり、成長率は低下するだろう。

やるべきことはそんなことではなく、働きたいのに、子供があと数時間預けられないからたまに残業があるときに困る、そうなると100%残業のない、本当はたいくつな職場で働かざるを得ない、ということをなくすだけのことなのだ。

そして、この動きは、少しずつであるが、進んでいる。公的なところもあるが、民間ベースでも整備が進み、数としては徐々に体制が整ってきた。後は、コストを下げるだけで、それは行政や政策では難しいだろう。ニーズがこれを生み出すことになるだろうし、それは待つしかない。

この動きがやや遅いことは、女性の社会進出が必要だ、と叫ぶことが少し長く出来ると言うメリットを日本社会にもたらすだろう。