日曜討論で野口悠紀雄氏と浜田宏一氏の直接対決を見た。それなりに関心は高かったようで、ツイッターでのつぶやきもこの時間に合わせて急増した。アベノミクス3本の矢のうちの一つ量的緩和について激論? というかお互いに一方的に持論を展開した。
司会者も議論をあえて深める方向にはもっていかなかったので、結局見ているほうもどちらが勝者か判定のしにくい結果となった。それぞれのサイドで勝った負けたを言い合っている。
この論争は経済学の持つ特性と意味を浮き彫りにしてくれたという点では、それなりに意味があったと思う。
まず、経済学はそもそも物理学のような普遍的な法則を持つものではないということ。このことを忘れると、つい唯一絶対の解があるかと勘違いし、必要以上の期待を持つことになってしまう。
経済学の最大の弱点は、物理学のように実験を積み上げることによって検証できないということある。過去に似たようなことがあっても、すべての環境が一致した経済状況は二度とあらわれない。今日本が経験している未曾有のデフレはまさにそうだ。
また、経済学の観測対象となる人間は、実際に観測されているということを認識することで、その行動を変えてしまうという厄介さが付きまとう。経済学は、この問題になんとか帳尻を合わせるために、合理的期待形成やランダムウオーク、最近では行動経済学というような説明の仕方まで登場させているのである。
経済学者自身は、経済学がリアルな経済を精緻に解明できないことは当然わかっている。
しかし、それを認めてしまうとまず自身の存在意義がなくなってしまう。経済学者が自説をあたかも科学的に証明できるかのように堂々と語るのは、
- 限界を認識したうえで、立場上うそぶいている
- 本当の勉強お宅
のどちらかでしかありえない。高次元の微分方程式をはじめとする高等数学を使いこなし、複雑な経済現象に対し様々な仮定を置きそのうえでモデル化し、机の上で証明していくことはそれなりに醍醐味だろう。学問の世界では意義があろう。
私たちは、二つの全く対立する経済論争を目にするときに、「ああこれが経済学の現実なんだ」ということを認識しなければならない。結局、終わることのない神学論争なのだ。
しかし、現実の世界では結果はひとつしかない。なにが起こるかは経済学者の指摘するうちのひとつかもしれないし、全く異なるものかもしれない。そういうことを理解したうえで、この神学論争を見ていかなければならないし、最終的に政治家がどういう決断をするかを見守るしかない。政治家の決断は途方もなく重いのである。
九条 清隆
九条経済研究所主任研究員
九条経済研究所