ロンドンで営まれたマーガレット・サッチャー元英国首相の葬儀実況を見て、彼女が政治の分野で残した遺産について考えてみた。
サッチャー時代の終焉を伝える報道も幾つか目にしたが、今の日本は、サッチャーイズムを勇敢に取り入れることが必要だと思う。
1976年にソ連の国防省機関紙「赤い星」に、「鉄の女」と非難されたサッチャー女史が、1979年に英国初の女性宰相に就任すると、「不退転の決意」で英国病と闘い通し「鉄の女」がサッチャーの代名詞として定着する事となった。
「良薬口に苦し」と言うが、サッチャー改革は患部を容赦なく摘出する「外科的」な政策であった。
日本の改革アプローチには、英国の改革政策に学んだ共通点もあるが、サッチャーイズムと似ても似つかないのが、患部を摘出する「スピード」と「徹底振り」の欠如である。
当時の英国は「揺り籠から墓場まで」で知られた手厚い社会保護制度と行過ぎた雇用保護政策が重なり、強大な組合が主導する労働争議が頻発したため、国民は労働意欲を失い国家は極度に疲弊していた。
それが、「英国病」と言われる現象である。
英国病の解決には、労組の猛烈な反対運動を振り切って労働組合の既得権を剥奪せねばならなかったが、社会主義の信奉者が大多数を占めていた当時のインテリ層の抵抗も強く、サッチャーは厳しい闘いを強いられた。
これは、他人事で済まされない程、日本の現状に近い。
サッチャーが直面した最大の政治課題である「雇用改革」が「労働組合改革」であったの対し、日本が直面する喫緊の課題は「公務員改革」と「人事院の廃止」問題である。
特殊法人、独立法人、各種の財団法人などに加え、殆どの運営資金を国の補助金に頼るNPOやNGOなどに奉職する「隠れ公務員」を合計すると、当時の英国や現在のギリシャと変わらない程、日本には「公務員的」な員数が多い。
失われた20年。成長率でも生産性でも、主要先進7カ国の中で最下位の状態が続く日本でありながら、ぬるま湯につかり切って(平和ボケとも言う)改革意欲も、勤労意欲も失った日本の現状は、限りなく当時の「英国病」に似た様相を示している。
それにも拘らず、街の隅々まで浅く広く配られている補助金(国から民間への「逆わいろ」)の威力は大きく、それに審議委員などの肩書きと礼金で魂を奪われている有識者の抵抗が加わると、日本の公務員改革にも「鉄の女」が必要であろう。
橋下市長にその役割を期待して来たが、太陽の党との合併後の「維新の会」は、清新な改革の色は褪せ、古い国家主義ばかりが目立ち、とても期待出来そうにも無いのが残念だ。
赤字に悩む英国鉄鋼公社の再建にサッチャーが連れてきたのが、スコットランド生まれとは言え、米国籍を取得して米国大企業の会長を務めていたイアン・マックグレガーであった。
サッチャーは、手早く英国鉄鋼公社の改革と民営化と言う大仕事を片付けたこの豪腕の経営者を英国石炭公社のトップに据え、労働界のボスであったスカーギルと対決させた。
サッチャーが、マクレガーの助けを借りて、1年以上に亘って続いた全国鉱山組合の激しいストライキを破った事が、「英国病克服」の第一歩となったことは記憶に新しい。
世界に先駆けて電話・ガス・空港・航空・水道等の民営化を行った際も、当時隆盛を誇っていた英国を代表する高級車メーカー・ジャガーのジェイムス・イーガン会長をヒースロー空港のトップに迎え、空港の民営化に踏み切り、それがPFI(パブリック・ファイナンス・イニシアテイブ)の誕生につながる事になる。
エネルギー分野では、電力事業を発電、送電、配電の3 部門に分割し民営化したのを先頭に、交通、通信、郵便、金融、労働などの分野でも徹底的な規制緩和を行った事が、イギリス経済の活性化に大きな役割を果たした事は論を待たない。
サッチャーの構造改革は「肥大化した政府の縮小」であり、この点では我が国と全く同じであるが、日本が学ばねばならないのは、これ等全ての改革を11年弱と言う短期間に達成した事実である。
然し「鉄の女」も「万能の女」ではなかった。
宰相就任当時の喫緊の問題であったインフレ退治には比較的早期に成功したサッチャー政権も、失業者の削減には最後まで苦しんだ。
その結果、石炭産業や鉄鋼産業の中心地であったスコットランド、ウェールズ、イングランド北部地域では、彼女の政策の犠牲になったと言う強い反感を抱き続け、盛大な葬儀を執り行う事にも反対したくらいである。
もともとは新自由主義的路線の推進者であった筈の安倍首相は、最近は官僚主導型の統制経済路線に転向するなど、「貴方は転向しても、私は元に戻らない」と言う演説で名を馳せたサッチャーの強さの足元にも及ばない、ひ弱さが見えるのが不安である。
イギリス人魂の真髄は「辛抱強いが、隅に追いやられた時の反発力は誰にも負けない」と言われている。日本人にも、これに似た性格がある様に思うが如何だろうか?
政策の内容は兎も角、「決めた事は素早く、徹底して実行する」サッチャーイズムさえあれば、日本の未来は明るい事を再認識させてくれたサッチャー首相の葬儀であった。
注:小林純氏の『サッチャー時代は終わったのか?』は大変参考になったので、ウエブサイトをご紹介申し上げておきたい。
2013年4月20日
北村隆司