5月11日の読売電子版で「維新の会は、選挙で議席を得るのが主目的の『選挙屋』になっている。選挙に勝つのは手段で目的ではない。このままでは有権者にそっぽを向かれて、年内に消滅してしまう」と述べたと言う記事を読んだ。
久方振りの正論である。
そして「もう一度原点に戻って、政策実行の目標をしっかりと据えないといけない」とも語ったそうだが、これも、その通りである。
橋下市長は、方針の転換を批判されると決まって「政治は負けたら終わりです。何も実行しない学者や評論家ではあるまいし、理想や理屈ばかりでは政治は勤まらない」と自分の「転換」を弁解して来たが、最近まで有権者はその「弁解」を受けいれ、橋下氏について来た。
この信頼が揺らいだ原因は、橋下氏自身が「選挙屋」に転換したのでは? と思わせるような言動を昨年の夏ごろから続けた事にある。
個別具体的な案件での方針転換までは、現実政治の範疇として認めてきた国民も、昨年の秋に「数集め」と「政党交付金目当て」に、松野 頼久氏など民主党の権力志向「屑議員」を維新の会に迎え入れた時に、「現実」と言う口実を使い「理念」を捨てて数集めに熱中する政治家に橋下氏も堕落し出したのでは? と言う疑問を持ち始めた。
これは、現実と理念の「はざま」に悩んだ橋下氏の苦渋の決断であったと思うが、この決断は国民の橋下新政治への期待を裏切り、「維新の会」への疑問に変わリ始めたのが「数合わせ」を始めた時である。
その疑問の集大成は、何と言っても消費期限の切れた「太陽の党」との合流である。これでは「野合」といわれてもしようがない。
「判断間違い」は誰にもあるが、判断ミスを認める事は優れた人のみが持つ特権である。橋下氏も自分の資質を賭けて再考して欲しい。
橋下氏自身が「もう一度原点に戻って、政策実行の目標をしっかりと据えないといけない」と本気で思うなら、一刻も早く「太陽の党」の古めかしい政治家や松野氏に代表される蜜を求めて飛びまわる「蝶々議員」と離縁して、経験不足でも良いから新鮮な仲間の群れに戻って再出発して欲しい。
悠久の国家を率いる気概があるのなら、拙速は避け、少人数でも良いから再出発すべきだ。日本の維新の前に「党の維新」に成功すれば、又明るい未来は訪れる。
橋下氏がその新鮮さを失わない限り、ファンは除除に増える事は間違いない。
幸いに、ネット選挙も解禁になったことでもあるので、橋下氏さえこの失敗を反省して再出発すれば、新しい力が新生「維新の会」の背中を押すに違いない。
2013年5月12日
北村 隆司