「国民国家解体」- 内田教授の「信仰」を批判しても骨折り損

北村 隆司

内田樹先生の朝日新聞への寄稿文を読ませて頂きましたが、この寄稿文への批判も落ち着いたこの時期に、蛇足を一つ。

国家が国民を保護する意味での「国民国家」は、世界的に「解体」されつつあると言うご意見は、進歩にせよ退歩にせよ変化は原型を変えて行く工程ですから、それを「解体」と呼ぶか、「発展」と呼ぶかは主観の問題ですので、ここでは触れません。


然し、「環境浄化」「高速道路網」「新幹線」「安価な電力」から始まり「グローバルに対応できる人材」の供給に至るまで、森羅万象のインフラは、国際企業の「コストの外部化」のために政府が国民を犠牲にして供給したもので、その恩恵に浴した企業が海外に移る事を許す事は、「国民国家」の解体を意味する。とか、

国民が「低賃金」「地域経済の崩壊」「英語の社内公用語化」「サービス残業」「消費増税」「農林水産業の壊滅」「原発再稼動」などの受け容れを強制されるのは、すべて「グローバル企業」の仕業だと言う主張には脱帽するのみです。

この主張に池田先生津上氏など多くの方から批判的な論評がありましたが、内田先生から合理的、理性的な反応を期待しておられるとしたら、それは無駄です。

と申しますのは、イラン革命の指導者で回教シーア派の高僧ホメイニ師は、イスラム教が人間の敵対者と見做す「サタン」を米国になぞらえ徹底的に排斥した様に、内田先生にとってはグローバル企業は国民の「サタン」だからです。

これは、朝鮮文化の思考様式の一つである「恨」に似た、強い「反」の感情論でもあります。

内田先生の「反企業」「反競争」論は、学者の域を遥かに超えた深い信仰になっており、内田先生は思想家や学者と言うより、カルト的「宗教家」と言う方が「実際の姿」に近いと思います。

これでは、対話は成立しません。

日本の「国際企業」に陰りが見え始めた頃の有名なジョークに、こんなものがありました。

「日本の電気メーカーとアメリカのメーカーが、ミズーリ川で十年に一度ボートレースをする事にした。1980年度の第一回の対決では、日本艇が大勝した。アメリカチームはその後、強化委員会を作って敗因と今後の対策を議論した。結論は簡単で、日本艇は、漕ぎ手八人で舵取りが一人であったが、アメリカ艇は、漕ぎ手が一人で舵取りが八人もいたのだ。
1990年、前回の反省をふまえ、普通の舵取り四人、ミズーリ川に詳しい舵取り三人、双方の舵取りの連絡役一人で戦った。漕ぎ手はやはり一人だが、筋力を強化し、報酬を高くして対抗したが、又負けた。
2000年の三度目の対決に向けて、日本艇は訓練を強化した。毎朝五時に起床して練習に励み、夜遅くまでボートを磨き上げ、その後は、カラオケ・レストランで合唱して結束を固めた。
一方、アメリカ艇は新しく生まれ変わった。ハイテクのパドルシステムを作り上げた。このシステムを採れば、漕ぎ手は一人で充分である。
これに対して日本艇は、漕ぎ手を増やさなければいけないと考え、たった一人の舵取りまで漕ぎ手に起用した。その結果、日本艇は進むべき方角を見失って大敗した。」

時代と科学技術の変化に目をつむり、バブルに酔って沈没した日本艇の監督が、内田先生であった事は言うを待ちません。

因みに、先生が永年奉職された「神戸女学院大学」のホーム・ページを開きますと、同校の「教育の伝統:三つの柱」の中に :
国際理解 :異質なものの受容をも意味します。他者との共生を志すこの精神は多様な価値の渦巻く現代の鍵語(キーワード?)です。と、
キリスト教主義 :向かい合うものに対する当事者意識をどのように養い、隣人と出会い、ネットワークを創出するか。各自に与えられた力を紡ぐ共同性の体得。
の二つの柱があると書かれています。

この「二本柱」を敢然として否定し続けた内田先生を受け容れて、先生との「共生」を選択して来た神戸女学院大学は、さすが伝統のある名門だけはあります。

私は昔の記事で、日本の市民運動に良くある「NIMBY(Not In My Back Yard):自分の裏庭だけは御免蒙る」と言う自己中心主義と「役に立つ馬鹿(useful idiots):ソ連が瓦解する前の冷戦時代に、西側諸国のソ連信奉者が、共産主義とその社会を賛美する様子をソ連当局が歓迎しつつも、内心では彼らの愚かさを軽蔑し、冷笑的に利用していたグループを指した名称」が、優柔不断で他人依存型の日本を生んだ犯人だと書きましたが、日本にホメイニ師が登場する事までは想像して居りませんでした。

2013年5月15日
北村 隆司