露骨な幼稚園の経営救済策になり下がった自民党の「幼児教育無償化」(上) --- 鈴木 亘

アゴラ

6月1日現在の各報道によれば、自民党が先の衆院選時の公約に掲げていた「幼児教育の無償化」について、「幼稚園に通う児童のみ」を対象とするという驚くべき方針を文科省が固めたとのことである。

具体的には、子どもが2人以上いる世帯を対象に、所得制限なしで第3子以降の幼稚園児を無償とし、第2子の月謝(保育料)を半額にするとのことである。総事業費は約300億円を見込んでおり、もうすぐ始まる来年度予算概算要求に盛り込むという。


自民党公約の「幼児教育無償化」については賛否両論があるが(私は貧困家庭の場合を除き、反対である)、これまでは少なくとも、「幼稚園に通う児童のみ」というような歪んだ話ではなく、保育園に通う児童も含んだものであったはずである。また、第3子以降のみ無償化、第2子は半額というような中途半端なものでは無く、全児童を対象とすると考えられてきた。

ただし、その場合に必要となる予算額は、平成21年に文科省が行った試算によれば、年間7900億円であり、財源の見込みが全く立っていなかった。民主党政権下の社会保障・税一体改革の三党合意によって、子ども・子育て支援の充実策については、消費税率引上げによる増収分のうち、 7000億円程度を充てることが決まっているが、これは幼児教育無償化とは本来、別の予算である。

しかしながら、文教族のドンが首相となって勢いづく自民党の族議員達や、幼稚園の業界団体の政治運動によって、この7000億円の財源を幼児教育無償化に使おうとする圧力が強まっていた。特に、不足する保育園とは対照的に、定員割れが深刻な私立幼稚園の業界団体からは、実質的な経営救済策として幼児教育無償化に期待する声が極めて大きい。このため、消費税引き上げまでとても待てないとして、一刻も早く公約を実現させようとする運動が激しさを増していた。

<参考>全日本私立幼稚園連合会「幼児教育無償化を実現させましょう!

ところが突如として、「女性の活躍を中核にする」成長戦略の柱として、安倍首相が「待機児童ゼロ」を参院選の公約として掲げることが決まり、消費税引き上げの前に、前倒しで20万人分もの保育園の定員拡大策が盛り込まれることとなった。つまり、来年度の保育園関係予算として、厚労省予算が大幅拡充されることが決まったと言うことであり、ここに至って、文科省は現実路線に舵をきって大幅に譲歩をすることに決めたということであろう。

文科省や自民党文教族の族議員達の本音としては、「今まで、こども・子育て新システムの予算の話は、保育園業界と幼稚園業界でバランスを取ってお互いの利権に配慮してきたのに、『子ども・子育て会議』を飛ばしてフライングとは・・・。厚労省さん、そりゃないでしょ。」というところだろう。

そして、厚労省だけに千億単位の予算がつく以上、「たった300億円程度の予算規模に縮小するんだから、文科省にも、この程度のおこぼれが来るのは当然でしょ」「じゃないと、とても幼稚園団体を押えられませんから、大事な『子ども・子育て会議』が回らなくなっても知りませんよ」と思っていることだろう(子ども・子育て会議における幼稚園業界団体枠の委員は、この4月から、2名から3名に増員された)。

このように世間の感覚からずれた露骨な利益誘導策、幼稚園業界の経営救済策を、文科省が臆面もなくマスコミに公表できた背景には、財源を巡る厚労省と文科省、あるいは自民党厚労族と文教族の間の「戦略的互恵関係」がある。だからこそ、300億円案について、直接無関係な田村厚労大臣に合意を迫ってから、文科省は発表したのである。

しかし、このような霞が関ムラ、永田町ムラの内輪の論理はともかく、幼児教育無償化の本来の目的であった少子化対策や、幼児教育充実による子どもの貧困防止策という政策目標に照らして、今回の文科省方針はあまりにもかけ離れていると言わざるを得ない。つまり、全く「大義が無い」。

第一に、幼稚園児だけを対象としていては、少子化対策として片手落ちであることは言うまでもない。平成24年の学校基本調査によれば、幼稚園に通う3、4、5歳児数合計は約160万人であり、同年齢の全児童約320万人の約半分に過ぎない。何故、この半分の児童だけが優先的に無償化され、少子化対策の対象となるのか。何故、残りの半分が施策の対象から外されるのか、理解できる国民は(文科省と厚労省を除き)皆無であろう。

第二に、恐らく、所得再分配上も大きな問題があると思われる。昨今のように、夫の所得減を補う為にパートやアルバイトでも就労に出ようと言う保育園利用世帯が増えてくる中では、専業主婦を中心とする相対的に豊かな幼稚園利用世帯だけを無償化によって助けることは、公平性の問題がある。特に、待機児問題の深刻化によって、都市部の非正規労働者の多くは、補助金がほとんど無く、保育料の高い無認可保育所を利用せざるを得ない状況であるから、幼稚園の無償化は、その不公平感を著しく拡大する。

第三に、幼児教育充実による子どもの貧困防止策としても問題である。もともと、経済学の観点からは、幼児教育無償化は少子化対策としてそれほど効果があるとは思われない。その理由は、幼児教育にかかるコストは、子どもが大人になるまでにかかる莫大な教育費や諸々のコストのごくごく一部に過ぎず、それが無償化されても大したインセンティブにならないからである。このことは、民主党政権による子ども手当や高校教育無償化が、少子化対策としてはほとんど効果をもたらさなかったことからも明らかである。

逆に、経済学的に明らかなのは、貧困な未就学児童に対する教育支援が、子どもが大人になった時に貧困が再生産されにくくなると言う意味で、もっとも効率的な「社会保障・社会福祉策」であるということである。貧困家庭への幼児教育支援は、それにかかる費用に対して、十分すぎるほど見合う成果のある「対費用効果の大きな政策」であることが科学的に知られている。

例えば、ノーベル経済学賞を受賞したジェームズ・ヘックマン教授らによる一連の研究は、アメリカのケースではあるが、貧困世帯の幼児に投資する教育費1ドルで、社会全体は8ドルから9ドルの「利益」を得るとの結論を導いている(例えば、Heckman, James J., & Alan B. Krueger. 2005. Inequality in America : What Role for Human Capital Policies? , The MIT Press, Cambridge, MA.を参照)。

しかし、現在の幼稚園利用世帯のいったいどれくらいが、貧困世帯と言えるのであろうか。皆無ではないにせよ、保育園利用世帯や、そもそも何も施設を利用していない世帯に比べて、幼稚園利用世帯に貧困世帯が特に多いとはとても考えられない。明らかに逆であろう。

もちろん、幼児教育無償化によって、今まで幼稚園に入っていなかった貧困世帯が、新たに幼稚園に入ってくる可能性は否定できない。しかし、恐らく、その可能性も高くは無い。本当に貧困な世帯であれば、両親の就労は不可欠であるから、幼稚園では無く、保育園を利用するはずである。

もし、幼児教育充実による子どもの貧困防止策を本気で行いたいのであれば、幼稚園に入所しているという「特定の対象者」を選ぶのではなく、より直接的に、貧困世帯であるかどうかに着目して、保育料を無償化する施策を選ぶべきである。もちろん、保育所利用者も対象である。もっとも、現在、認可保育所については実質的に貧困世帯は無償化に近いから(保育料が極めて安い)、認可外保育所と幼稚園の保育料だけを減免することになる。当然、第一子から対象である。予算が足りなければ、生活保護世帯に対しては、教育扶助の利用を認めるという手もある。

第四に、幼児教育無償化は、アベノミックスの成長戦略である「女性の就労拡大」に逆行する。年収103万円、130万円以下で就業調整をしている程度の短時間労働者の母親にとっては、この無償化の金額は意外に大きい。そもそも、この程度の収入で、認可外保育所の保育料まで支払わされては、あまり家計の足しにならなかったのである。幼稚園の保育料が無償化されるのであれば、これを機に、就業を止める母親がかなり現れるだろう。現在進んでいる幼稚園から保育園への利用者離れも歯止めがかかる。

第五に、このことは、文科省が試算した300億円という事業費が、相当に過小な見積額であることを示している。文科省の試算はこれまでもいつもそうであるが、経済学的な観点はゼロである。つまり、幼児教育無償化によって、幼稚園の需要が増える効果が全く含まれていないと思われる。幼児教育無償化で幼稚園の需要が増えることは、予算上は、想定外の出来事とされているのだろう(想定外に予算が増えても、文科省にとっては喜ばしいことである。しかし、財務省は是非、ここを詰めるべきである)。

また、そもそも幼稚園の需要が変化しなかったとしても、この300億円という数字は既に過小なものになっている可能性が高い。ダム事業費のように「小さく産んで(小さな金額の予算を立てて、国会を通し)、大きく育てる(事業ができた後から、予想外に事業費が増えたとして予算を増額する)」というのが典型的パターンである。

平成24年の学校基本調査によれば、幼稚園利用者数は、国立と公立を合わせて約28万人、私立が約130万人である。前者の月謝の平均は年間8万円、後者は30万円程である。一方で、第二子、第三子以降である確率は、出生動向基本調査から計算すれば、前者が約25%、後者が約3%である。これらを考慮して計算すると、総事業費は、倍以上の約660億円となる。無償化によって幼稚園の需要が増えれば1000億円程度の規模になってもおかしくはないだろう。

※明日の(下)へ続く。


編集部より:この記事は「学習院大学教授・鈴木亘のブログ(社会保障改革の経済学)」2013年6月2日のブログより転載させていただきました。快く転載を許可してくださった鈴木氏に感謝いたします。
オリジナル原稿を読みたい方は学習院大学教授・鈴木亘のブログ(社会保障改革の経済学)をご覧ください。