ローマ法王フランシスコは就任以来、慎ましい生活を勧める。南米教会出身の現ローマ法王フランシスコは法王選出後もゲストハウスSanta Martaに宿泊し、豪華な法王宮殿に引越しする考えは今のところない。アルゼンチン出身の法王の脳裏にはブエノスアイレスの貧民街が鮮明に焼きついているのだろうか。貧者の聖人、アッシジのフランシスコの名に恥じないように努力しているのだろうか。
フランシスコ法王は先日、「ペテロは銀行に口座を持っていなかった」と非常に洒落た言い方で説教した。ペテロ当時、銀行などなかったからだ、というのではない。イエスの第1弟子は金銭に執着していなかったというのだ。金銭や物質に固守せず、イエスの福音の実践に生きる生き方を「銀行口座もない生活」と表現したのだろう(銀行口座もなく、クレジット・カードもなければ生活は難しい。旅行チケット1枚もクレジットカードがなければ高いチケットしか購入できない。現代人には銀行口座もクレジット・カードも日常生活では不可欠だ。しかし、銀行口座もクレジット・カードがなくても生きていけることもまた事実だ)。
ちなみに、バチカン法王庁は1日、宗教事業協会(通称・バチカン銀行)の幹部2人の辞任を発表した。バチカン銀行の高位聖職者が汚職疑惑(マネーロンダリング容疑)で逮捕されたことを受け、幹部の引責辞任だ。なお、フランシスコ法王はバチカン銀行の閉鎖も考えているという。同銀行のスキャンダルはバチカンの信頼性を再び震撼させているからだ。
この欄でも数回、指摘したが、ここ数年、興味深い社会現象が見られる。豊かな人はその豊かさゆえに糾弾されてきた。豊かな人、銀行、社会はもはや一昔のようにその豊潤さを密かに享受できなくなってきたのだ。換言すれば、富の不公平な分割に人々は敏感になってきたからだ。
米ニューヨークの「反ウォール街デモ」はソーシャル・ネットワークを通じて世界各地に拡大した。ウォール街の反政府デモ参加者たちは「われわれは99%」と叫び、貧富の格差や銀行を含む金融機関の横暴を批判した。タックス・ヘイブン(租税回避地)への追求の声も高まってきた。富を隠し、自身だけが豊かさを楽しむことはもはや難しくなってきたのだ。
なぜだろうか、世界のグルーバル化と情報社会の発展という時代の恩恵もあって、富の公平な分配がわたしたちの課題として残されてきたことに気がついてきたからかもしれない。質素な生活を呼びかけるフランシスコ法王の登場は、その意味でも非常に時代的な現象といえるわけだ。
編集部より:このブログは「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2013年7月4日の記事を転載させていただきました。
オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。