お金は眠らない

森本 紀行

金利を日割りで計算する習慣は、おそらくは、世界共通で、しかも、歴史的に非常に古いものだと思う。日割りで計算するということは、金利は、毎日休むことなく、生まれ続けるということだ。お金は眠らないのである。


米国の作家ジョン・D・マクドナルド(有名なロス・マクドナルドとは別人)に、「四月の悪事」(April Evilというのだが、邦訳はないと思う)という作品がある。この小説、骨だけとりだせば、富豪の家に凶悪な強盗が押し入るという犯罪を描いたものである。

なぜ悪漢が目をつけたかというと、この富豪、全財産を現金にして自宅の金庫に保管していたからだ。現金にしている理由というのが、お金を働かせないためなのである。成功した実業家として蓄積した資産、その資産は、現役時代には、生きて働いて、自己増殖していた。しかし、実業家は、引退後、自分の財産も引退させ、働けないようにしたのだ。銀行預金にしたら、利息を生んでしまう。働いてしまう。だから、札束の現金にして保管していたのだ。

利息を生んで自己増殖しているからこそ、資産なのである。資産とは、子を産むもののことだ。ゆえに、札束の現金は、実は、もはや資産ではない。何も生み出さないのだから。この実業家、資産を金庫に監禁し、事実上、殺してしまったのである。

ところで、この小説、素晴らしい結末がついている。強盗は、お金を盗み出すことには、一応は、成功する。ところが、追跡をかわすために、小船に乗って海上へ逃げる。ちなみに、舞台は、フロリダの海辺の町である。そして、数日後、海に漂う小船の中で、渇きによって死んでいるのを発見される。皮肉なのは、巨額な現金を持ちながら、海の上では、水一杯買うこともできなかったことだ。現金は、資産ではない、つまり利息を生む力はないとしても、物を買う力、決済手段としての購買力はもっているはずだ。しかし、絶海に漂う小船の中では、その購買力すら、失っていたのである。

本来、資産家というのは、本当の意味における職業的投資家なのだ。なぜなら、投資が生み出す利息配当金等の運用収益で生活しているからである。もしも、生活の糧を得る手段を職業というなら、資産家の職業は、投資である。

投資とは、資産を働かせて、収益を得る営みである。資産は、製造業における製造装置であり、酪農業における乳牛である。機械がよく動いて製品をより多く生み出すように、機械を手入れし、乳牛が牛乳をより多く生み出すように、牛の世話をする。それと同じように、資産が、より多くの子(運用収益)を産むように、手入れをする。これが、投資なのである。

金利は、資産が生み出す最低限の資本利潤である。投資の原点である。しかし、資本は、常により高い利潤率を求めて、移動して行く。それが、資本の本質であり、資本主義経済の本質なのである。そして、もちろん、投資の本質でもある。

ゆえに、この小説の富豪は、資本を金庫に閉じ込めたのだ。資本は、働けないどころか、動くこともできない。資本に罰を与えたのだ。この富豪(不動産で富をなしたという設定であるが)、実に奇怪な反資本主義の哲学者というほかない。

一方、資本は、より高い利潤率を求めつつ自己増殖していくと、資本の限界利潤率がゼロに収束していく。マルクス的な問題である。その意味で、日本の長期にわたる極端な低金利の定着というのは、実は、怖いことなのだ。資本の蓄積の結果として、資本に働き場所がなくなったということなのだから。

森本紀行
HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長
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