党首討論を聞いて印象的なのは、与野党とも非常にローカルな話ばかりしていることだ。与党は「大胆な金融緩和」で日本経済が成長すると信じ、野党は「インフレで貧しい人の生活が苦しくなる」と批判する。昔からおなじみの「成長か分配か」という論争だが、最大の問題はその成長を制約する要因が国内にはないということだ。
本書は近代世界システムが、次の図のようなコンドラチェフ循環に従ってヘゲモニーの中心を移しながら拡大してきた過程を多くの史料からあとづけ、ブローデルやウォーラーステインの理論を整理したものとしてネグリ=ハートも高く評価している。
上の図のMCは生産拡大の時期、CM’はそれが金融化してグローバルに拡大する時期だ。つまり最初は植民地支配や商業で利鞘を得ていた「長い16世紀」の資本主義が、金融資本主義になった末に利潤率(金利)が低下し、次の製造業で利潤を得る産業資本主義に覇権を奪われる・・・という循環で資本主義のヘゲモニーが移動してきたという話だ。
長い16世紀の中心だったジェノヴァでは、1619年に10年物国債の金利が1.125%という史上最低記録をつけ、それは2000年代の日本まで破られなかった。つまりデフレと低金利は、コンドラチェフ循環の終わるB局面の最後の兆候なのだ。古典的な商人資本主義だったジェノヴァはこの隘路を抜け出すことができなかったが、オランダは東インド会社でアジアから略奪することによって新たな資本蓄積を行なった。
それが行き詰まったとき、イギリスはアメリカ大陸から略奪することでオランダよりはるかに大きな富を築き、アジアまで含む「大英帝国」を建設した。しかしアメリカが独立すると新大陸から搾取できなくなり、アメリカ自身が世界の支配者になる「長い20世紀」が続いてきた。
そしてアメリカの世界支配も限界に来て金融化し、低下する金利を「金融工学」でごまかしているが、いずれ限界は来る。それに次いで登場した「21世紀システム」の中心はアジアであり、そのリーダーは日本だ・・・というのが1994年に書かれた本書のビジョンである。さすがにこれはネグリ=ハートにも批判され、『北京のアダム・スミス』ではそのリーダーを中国に変更した。
しかしこの変更は、日本にとって重大だ。かつてごく自然に「日本の世紀」が来ると思われた歴史的なチャンスを、なぜわれわれは逃してしまったのだろうか。その一つの原因は、軍事力を奪われたため、アメリカ主導の「長い20世紀」圏を脱却する独自の地政学的秩序を構築できなかったことだろう。
もう一つの原因は、製造業がアジア戦略で失敗し、投資機会がアジアに奪われたことだろう。その証拠がジェノヴァ以来の世界史的な低金利だが、人々は国内に閉じこもって「反グローバリズム」を叫び、「日銀がエルピーダをつぶした」などと金融政策に責任を転嫁している。アベノミクスは、そういう視野の狭い「ガラパゴス政治」の典型だ。
アリギもいうように21世紀がアジアの世紀になることは確実なのに、なぜ日本はそのリーダーになれなかったのか。もうチャンスはないのか――8月24~5日のアゴラ合宿では、この問題を考えてみたい(くわしくはのちほどご案内します)。