GEPR編集部
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JR東海の葛西敬之会長が日本原子力学会シニアネットワーク連絡会のシンポジウム「原子力は信頼を回復できるか?」で8月3日に行った講演の要旨は次の通り。(上)から続く。
【意見を聞きすぎると、物事は進まない】
国鉄は1976年、77年に2年で50%の値上げができた。その時、政党系の団体が何度も陳情に訪れた。そのとき皆上司が逃げてしまい、運賃担当の班長だった、私が対応を引き受けることが多かった。
公共サービスの値上げで、消費者が怒ることは当然だろう。しかし、この人たちは「サービスを増やせ」などの要求も突きつけてきた。私が、「分かりました。しかしそのお金はどうするのですか。もっと赤字が増えてしまいます」と聞いた。すると、その陳情団は、その政党らしく「『民主的な経営』をして人々の意見を聞け」と言った。それを突っぱねると「官僚的な独裁者だ」とか「ブルジョワめ」とか、私に罵声や捨て台詞を残して帰っていった。
また1980年代は労務担当をした。内部では人員整理が進まなかった。昔からの慣行で、労務担当者は組合の意向ばかり聞いていた。会社側が、組合幹部を接待し、銀座のバーの飲食までしていた。
経営が厳しく給料が増えないと、組合は、なるべく仕事を楽にすることを求めた。どの職場も余剰人員を抱えすぎていた。そして人を減らすことに抵抗した。これは組合の「横暴」と、今でも言えるだろう
私はこうした交渉方法をやめた。必要な文章を内容証明郵便で送った。そして「質問がなければ、異論がないと見なします」と通告した。こうして組合を交渉の場に引き出した。42万人の人員を20万人まで減らすまで交渉を続けた。再就職対策は大変だったが、やらなければ国鉄は完全に崩壊していた。このように他人の意見を聞きすぎては、改革などできないのだ。
【改革で必要なのは正当性、そして協力】
国鉄改革が動いたのは大義名分、つまり正当性が改革派にあったことだった。「国鉄を生き返らせる」という正しい目的があった。反対派には対案がなかった。手段の合理性は正当性があれば、たいてい見つかるものだ。
ただし私一人だけでは改革ができなかった。仲間がいたし、それぞれの場でリーダーがいた。国には中曽根康弘首相が分割民営化で揺るぎなかったし、総裁、また当時の運輸次官も引かなかった。持ち場持ち場で、一歩を踏み出すリーダーがいたからこそ、中堅の私も立ち上がることができた。一歩踏み出した人を一人で反対派の「十字砲火」にさらしてはいけない。
武士の教養書として知られる『葉隠』に、「武士道は死ぬことと見つけたり」という言葉がある。私は必要なときに、人はすべてを投げ打って、正しいことを貫くべきことを教える警句だと考えている。そういう覚悟が、物事を切り開く前提になる。
【民主党政権の問題、ポピュリズム】
民主党は、自分の考えがない政党だった。自分の考えがないと他人に影響されてしまう。民主党はポピュリズム(大衆迎合主義)に陥ることが多かったが、震災、原発事故対応はそれが極端な形で出た。国民の間にパニックが一時的に起こるのは、初めての経験である以上仕方がないだろう。ところが民主党の政治家は、他人のパニックを見て自らがパニックに陥って、そしてさらにパニックを増幅させてしまった。民主党政権は、リーダー不在の組織、愚かな為政者、ポピュリズムが国を誤らせてしまう危険を示す政治史上のよい実例であろう。
問題は「放射能への過剰な恐怖感」を民主党政権は生んだことだ。もちろん、放射能は対応によっては危険だが、今の日本の状況は、数多くの科学的な知見を参考にすれば、人体に影響がある可能性は少ない。一歩踏み込んで「大丈夫だ」と、なぜ政府が強いメッセージを実態が判明した時点で強く打ち出さなかったのか。そして、なぜ科学的な知見をもっと熱心に広げなかったのか。そのために今でもメディアは危険情報一色だ。事態が難しい方向に動いてしまった。
それに伴って起こった問題がいくつもある。第一の問題は原子力発電を全面停止する政策だった。経験のない政策であったのに、事前にまったく準備や検討を重ねていなかった。その結果はどうか。今年2013年にはLNGなどの燃料費の増加で4兆円の国民負担が増えてしまう。原発の再稼動を原子力規制委員会がなかなか認めないため、その停止は長引くだろう。このまま国富が流失すれば、経済への悪影響は間もなく出てくる。
第二の問題は、東京電力が、事故の責任を第一義的に負うという形にしたことだ。もちろん責任はあるが、すべて引き受けなければならないというのは、法律上も、また道理の上でも疑問がある。
これに関係した第三の問題は、除染基準である。現在、福島で年1ミリシーベルトまで被ばくに抑えるとしている。これは実現不可能で、福島の被災者の方々の帰宅、そして地域の復興が遅れている。この基準の設定には、科学的根拠はないのだ。
さらに第四は賠償の問題だ。基準を明確にせず、またすべてを東電に負わせるという形のために、被災者の方の生活再建という目標を越えて、無規律な状況に陥っている。何でも東電に補償させようとしているのだ。
菅政権の失敗によって撒かれてしまった悪しき政策の種は大きくなりつつある。安倍政権は安定多数を衆参両院で得て、ねじれを解消した以上、この是正をしてほしい。この種は間もなく芽吹いてしまうだろう。このままでは民主党の失敗が、自民党の失敗に転じてしまう。そしてその失敗の影響を私たち日本国民一人ひとりが、背負ってしまうことになる。
残された時間は、今年夏の間の数ヶ月であろう。真っ先にこの問題に手を付けなければいけない。是正しなければ、アベノミクスは原発、エネルギー政策で失速する。政権は英断を持って、悪しき政策を是正してほしい。
【「社会の空気」を変える】
原発をめぐる世論は厳しい。そして正論を言えないという、日本によくある「空気」のこわばりが原発をめぐって起こっている。
電力業界には、日本国民は愚かではないのだから、正常化を待ってばよいという態度があるようだ。その考えは分からないでもない。しかし賢明な日本国民でも、道を誤ることがあるではないか。太平洋戦争に日本がなだれ込んだのは、言論が封殺され、正論が言えず、ポピュリズムを許した結果ではないのか。
国鉄改革で参考になる話をしたい。世の中には「流れ」がある。私たちが国鉄の内情をすべて明らかにして、「もうこのままでは国鉄は完全に崩壊する」と分かったときに、世論もメディアも、民営化容認に動いた。国民負担が現実になりかねないと、自らの問題となったときに、世の中の雰囲気が転換した。これだけではない。どの問題もあるきっかけを境にして、「水が高きから低きに流れる」ように、自然な方向に状況が変わることがある。
電力会社は「電気代が高くなってもいいのですか」と、間もなく一般消費者に事実をはっきり言わなければならなくなるだろう。それが転換点になるかもしれない。
しかし、そのためには一歩を踏み出して正論を示してほしい。ただし、その場合には先ほど述べたように、「正当性」がなければならない。
高品質のエネルギーを安定的かつ低価格で供給することが経済と社会の土台だ。関係者の奮起を期待している。