「場当たり主義」と言う言葉を考えてみたい。
あるメーカーは特に自らの業務に問題意識も感じず日々を送っていた。ところが、問題が発生した。追い詰められた挙句、確証はないものの状況に追い込まれ対策を講じた。なんとそれがうまくいき、業界や社会に広く普及してしまった。ところが追い詰められた火事場の馬鹿力で対策を講じたので、戦略性がなく、後発の人たちに追い抜かれやがてその会社は破綻してしまった。
この自壊を招く戦略性と本質を無視した考えこそが「場当たり主義」だ。そして、この会社は紛れもなく日本そのものである。
日本の「場当たり主義」を考える上で「飛行機」と「省エネ」は欠かせないキーワードだ。「飛行機」は先の大戦で、「省エネ」は戦後の日本がまだなお「場当たり主義」であることを決定づける社会現象だ。
まずは「飛行機」を見てみたい。真珠湾攻撃で戦艦に対する優位を証明したのは日本だった。初戦で空母機動部隊は太平洋の米軍をこれでもかというほど駆逐した。しかし、アメリカも新型戦闘機の開発に乗り出すと日本の航空機は質・量ともに劣勢著しくなった。ついに、産業力の差で敗北確実となった。
ここまで読めばこの「航空戦争」は産業力と技術力で負けたと読むのが筋だ。もちろんこれらの要因は大きい。しかし、日本が本当に勝てなかったのは自身の「場当たり主義」だったのではないのか。
航空兵力の整備を日本が当時急いだのは航空機の時代を予見してのことではない。1922年ワシントン軍縮条約、1930年ロンドン軍縮条約の決定を受けて日本は保有戦艦の数を大幅に制限された。この劣勢を挽回すべく、航空機の整備にあたったというのが史実である。つまり、環境に追い込まれ苦肉の策で航空兵力の拡大に励んだ結果、太平洋戦争の初戦で華々しい戦果を上げることができたのだ。しかし、「場当たり主義」で臨んだ結果、望外の戦果に浮かれ戦略性を見失い、論理破綻を起こし最後は航空機と精神論を合わせ「特攻」と言う戦い方まで編み出すことになる。もはやこれは産業力・技術力以前の問題だろう。
こうした「場当たり主義」は恐ろしいことに未だに蔓延している。そう、それが二つ目のキーワード「省エネ」だ。
「省エネ」の起源は遡れば石油ショックに行きつく。中東危機の勃発で石油の供給途絶が起き、日本ではエネルギーを大量消費するという考え方に黄色信号が灯った。この考え方は製品にも波及し、より燃料効率の良い「省エネ」で「エコ」な製品が普及し始めた。
この「省エネ」もその起源を辿れば時代を予見したということではない。状況に追い詰められた結果、多くの消費者に理解され普及した。石油ショックを機に石油の可採年数に注目が集まり、新しいエネルギーを模索する動きが世界的に起こった。その中で、先んじて「省エネ」に取り組んでいた日本の製品がたまたま世界で受け入れられたというのが実際だろう。
戦中から戦後を通じて、今に至るまでこうした「場当たり主義」は日本に蔓延している。政治家は次の選挙を考え、学生は自分の就活のことのみを考える。サラリーマンは次のボーナスを考え、主婦は明日の家計ばかりに必死だ。
これだけ論理のない「場当たり主義」が蔓延すれば、国益を無視した政治家の台頭、社会への配慮を欠いた学生、金ばかり考え人生を見失うサラリーマン、子育てを忘れた主婦が出てくるのは当たり前だ。
政治も、就活も、ボーナスも家計もなぜそれが必要なのか考えなければならない。どういう理由があってそれが求められているのか、そうしたものはあくまでも手段であってそれらを通じて何を目指すのかという本質論を語る必要があるだろう。
日本人は未だにあの戦争から変わっていない。「場当たり主義」が社会に重層的に蔓延し、もはや文化になりつつある。実は我々が馬鹿にする「別に理由はねえし~」と口走るヤンキーと同様、思考停止の論理破綻は社会全体に起きているのではないのか。
こうした「場当たり主義」は日々立ち止まり自問自答することが解消の第一歩だ。今の環境はどういう状況で、ゆえに自分は何をしなければならないのか。今やっていることは果たして自分をどこに導くのだろうか。こうした文脈の中で日々を考えなければ必ず「場当たり主義」は襲ってくる。日本人は真面目な種族だから一つ決めたら無駄でもひた走る。その中で論理破綻を起こし、「場当たり主義」に陥ってしまってもなかなか自分では気づけずにいる。
「8月15日は終戦の日です。」ではなく、あの戦争はどういう文脈の中で起こったのか、そこから日本人は何を学んだのか。68年目の夏。ゆっくり考える時間にしてみるべきだと考えるのは私だけだろうか。
佐藤 正幸
World Review通信アフリカ情報局 局長
アフリカ料理研究家、元内閣府大臣政務官秘書、衆議院議員秘書