先日のソウルで行われたサッカー日韓戦での「歴史を忘れた民族に未来はない」とハングルで大書された横断幕のことは試合後のニュースで知った。ほぼ人生の半分を、そういう韓国大衆の素朴なる道徳観の発露、それもいわゆる「日帝」を悪の根源でもあるかのように考える道徳感に散々付き合わされてきた当の日本人である私としては「やってくれたか、いつものことだが……」と嫌悪感というより一芸だけを執拗に繰り返す芸人にまた会ったような奇妙な懐かしさがあった。そこには日本の反応にある「民度」だの「文明度」を疑うなどというオーバーな表現の対象になるような重要な意味は少なくとも韓国の中ではあまりないからだ。
調べてもらえばどこかにあるだろうが、2000年代の初め頃にもやはり重要な大会のチケットがかかった日韓戦で「在日同胞の皆さん、頑張ってください」という大横断幕が掲げられて、テレビ画面に大写しになったことがあった。韓国において共に政治学を学ぶ留学生仲間の一人であった当の「在日」の友人と一緒にテレビを見ていたのだが、彼が「頑張らなきゃならんのはお前らだろう」と言って笑ったを思い出した。韓国がアジア通貨危機のパンチをまともに食らってIMFの管理下に置かれていた頃の話である。
「赤い悪魔」だかのおどろおどろしい名の私設応援団を仕切っている鬱屈した若者たちによるその表現は多少とんちんかんではあるが、ともかくその愛国の熱情は買おう、それが実のところ韓国社会の大人たちの間のいつもの反応である。 こうしたことは韓国国内的には基本的に「いつものこと」つまり常態なのである。
今回のこと、またその前後に出てきた「対馬の仏像」やら「旭日旗」の問題、呉善花氏の入国拒否の問題などにしても、いつもながらその類の話題に事欠かないが、昔と違って情報化時代の今は瞬時に両国の社会に情報が駆け巡り政治的軋轢としてさも重要なことのようにクローズアップされるようになった。一般的に考えれば「歴史を忘れた」のは日本だけではなく韓国も同じであり、「旭日旗」はあくまで日本の旧国軍である海軍の旗であり、東京国際軍事法廷で対象となった軍国主義を策謀した集団の象徴ではなかった。呉善花氏の(韓国では)少数派言論の内容を持って入国を拒否するということも自由世界の原則に外れるだろう。
しかし、そういった原則論は当の韓国人も特に多少の教養を身に着けている人間なら皆分かっていることであり、だからと言ってそれを言い募る人もいない。「外部の人たちには理解してもらえないだろうが……これが韓国なのだ」と苦笑いしながら距離をおいている人がほとんどである。「細かいことは別としても気持ちは分かるだろ? クウェンチャンタ、マー(まあ、いいじゃないの)」。要する彼らは自国の人間がなんらかの形で「反感」を表現することに寛容なのである。それらが国際問題に発展したとしてもである。
日韓比較文化論に関する本はそれこそ汗牛充棟であるが、最近はご無沙汰している。あまり参考にならない。文化を語る学者というのは単純なことをさも深淵なことのように、恥ずかしいことを自慢の種でもあるかのように訳の分からない文学的美辞を弄するからだ。ところで、その類のエッセイに必ず登場する韓国の「ハン(恨)の文化」とは一体何だろうか。
韓国におけるその言い出しっぺの一人である李御寧(イ・オリョン)博士の『恨(ハン)の文化論―韓国人の心の底にあるもの』(1987年)によれば、「恨」とは、「人の内部に積み重ねられた決して消えることのない青白く燃え続ける雪のように冷たい恨みつらみの感情」だそうだ。ずいぶん文学的だが、「このうらみはらさでおくべきか」のような恐怖映画の惹句みたいで「一国の文化にしては、ずいぶんネガティブな」というのが私の正直な感想だった。『道徳の系譜』だったかでニーチェが語っていたように、強い者に腕力でねじ伏せられた弱者が、力で敵わないから何か取ってつけたような道徳的な規範を言い立てて、相手に勝ったつもりになるという悲しい「ルサンチマン道徳」に近いのではないかとも思った。
しかしその後、韓国で生活しながら分かったことは「恨」というのはそんな深淵なものではなく日常生活でもよく使われる言葉で要するに「欲求不満」とか「反感」、または「謀反気」のような別に韓国人ではなくともどこの国の人間でも持っている一種の心理表現だということが分かった。ただ、一つ言えることは韓国人がそうした「恨」を特別に強く持っているというよりも、韓国社会がそういう心理の表出に寛容な社会だということだった。強い者に抑圧された弱者がいつまでも「恨」という一種の反感を心に持ち続けることを肯定的に捉える文化である。
歴史的にあまたの外侵にさらされ続けた朝鮮の民は、ある時は為政者が雲隠れし、民衆が素手で外国軍隊と戦わなければならないことも一度や二度ではなかった。「反感」は如何に未熟で稚拙なものであっても、共同体を守る最後の砦となり得る「善」なのである。だから、韓国人は「反感」に対して寛容な社会であると共に、為政者の道徳的試金石もまたその反感にどれだけ配慮し行動に移せるかが基準となり、それが「正義」とされる。したがって、韓国を統治する者にとってこの素朴な民衆の「恨」に対し、それが自分に向けられないように腫物を触るような態度で扱わなければならないものである一方、政策形成の資源としてこれ以上有用なものもないのである。
「歴史を忘れた民族に未来はない」という言葉にも、結局その「恨」への肯定が含まれていると思うのだが、メッセージの引き金になっているものは最近の李前大統領の竹島上陸から天皇侮辱発言に対する日本の反発、橋下市長の従軍慰安婦必要(だった)論に始まる問題歴史認識問題だろう。日本においては韓国の、韓国においては日本の、深謀遠慮を疑ういろいろな憶測が飛び交い、問題はアメリカや新世界秩序の形成の行方にまで飛び火し、複雑怪奇に見える。
しかし、実は問題の根は意外に単純なものだ。例えば、従軍慰安婦に対する国家謝罪や個人補償の問題は、根本的に国民全体にベネフィットをもたらすものではない。例の汎民族主義的市民団体が元慰安婦のお婆さんたちを引き連れて毎週ソウル駐在日本大使館の前でシュプレヒコールを叫んでいても、政治的コストが絶対的に不足だ。そこで、「起業家政治」的に国民の「恨」を刺激し、「コストの分担」を訴える訳である。
この問題は由々しき「道徳問題」であり、国民としての誇りと名誉、つまり「アイデンティティ」の回復を損なう問題である。彼女たちの名誉回復と補償は、政府の「正義」を問うことであり、これに妥協しないことが政府の正統性を証明し、我々国民はその「正しい裁き」ができる政府の元で安全に安心しながら生活できるのだ、という論理だ。こうした政策形成のスタイルは当初は漁業権など漁民の利益に関わって発生した竹島問題が、領土紛争に、ついにはノ・ムヒョン大統領によって大々的に日本の再侵略やら歴史認識問題に格上げされたことも「コストの分担」に対する納得を国民に求めるためであった。
しかし韓国には大きな誤算があった。もともと韓国人は一般に個人主義的であり、物事に対して自己利益中心に考える傾向があると言われるが、不思議なことは、これらのことはあくまで自国の政府に「正義」を要求することであり、その標的となる日本に、情報化時代の進展により出来事の詳細が逐一伝えられて日本人の道徳的立場、誇りと名誉がいたく傷ついているということについてはほとんど関心が及んでいなかったのである。それは大衆だけでなく統治に関わる人間たちにも言えることだ。
自分たちの「正義」がどこでも通用する普遍的なものだ、という素直な思い込みである。韓国人が個人的に日本や日本人に接する時、意外に毒気も悪気もなくあっけらかんと天真爛漫なのはそのためだ。これは、韓国とは逆に国民の「コストの分担」の調達に苦しんできた日本の新しい対韓政策形成を助ける結果となってしまった。騒ぐことで韓国は自分の自分の首を絞めてしまったのである。
では、「民度が低い」「文明的ではない」「常識を疑う」と韓国に対して憤激の度を高める日本側の反応はどうなのか。何を以てそう言わせているのか。
「恨」に対抗する日本社会の「共通善」があるとすれば「和」だろう。「和」が文明的なのだろうか。「和を以て貴しと為す」と言うが、それはあくまでも日本人が「貴しと為し」ているだけの話で、ひょっとすると韓国人からすれば「卑し」かも知れないのである。こう言えば普通の日本人ならば「和とは調和、平和を求める仲良くなろうの精神」の何が悪いのだと色をなして怒り出すかもしれない。その位、日本人もまた自らの道徳観の普遍性を純粋に信じ込んでいる。
「和」とは敢えて言えば「妥協」だろう。納得は出来なくともともかく譲り合って手を打ちましょうなどという論理は「恨」の肯定と同じように国際的にはバランスの取れた論理的な規範だとは言えないのではないか。しかし、たびたび不確実で例外だらけの歴史に説明を求めることもナンセンスなのだが、外侵に悩まされてきた朝鮮半島とは異なり、狭い列島の内部の内戦に悩み続けてきた日本では、喧嘩両成敗だ、ともかく相互に主張を引っ込めて、悪くいえば妥協して、まずは秩序と安寧を求めなさいという「和」の道徳が支配的になったことは理解できる。そしてまた言えば、これも結局は弱者の思想、ルサンチマンの一種だろう。そして、その思想が結局はアメリカの影に隠れてアジア諸国との過去の清算を曖昧なものとし、現在の色々な問題の禍根となり、しかも日本の将来の政策的土台にあまり宜しくない影響を与える可能性が高いのである。
日韓の歴史認識問題と言われるものは、何度も言うようだが両国の国民にとって現実的なベネフィットの見えないものである。だからこそ、だから政治的コストの核心はお互いの道徳観の衝突によって支払われる。
ニーチェの思想の中に私なりに解法を求めるとすれば、ルサンチマンからの脱出は自らの道徳で人を責めることではなく、その規範を自らに課して責任を完遂するというものだ。自己の道徳観を相手に理解させるために最も必要なことは、相手に対する批判ではなく自らに対しての行動であるだろう。抽象的過ぎるきらいはあるが両国の政策担当者にとりあえず言いたいことはそれだ。
太田 あつし
永進専門大学国際観光系列(韓国、大邱市)
外国人主任講師