世の中に最近こんな感じのことを言う人が多い。
○グローバルに激しい競争が起きている。
○そんななか世界のエリートたちは寝る間も削って必死の研鑽を積み重ねている。
○彼らは英語は当たり前で数か国語使いこなし、専門知識に長け、深い教養もある。
○さらには文武両道でスポーツや芸術にもたけている。
○そんな世界のエリートと比べて日本はぬるま湯だ。東大なんていったところで、ハーバードやイェールの怪物の足下にも及ばない。
○今や日本よりも韓国やシンガポールの若者の方が世界に飛び出て戦っている。日本はグローバルな競争に乗り遅れている。
○日本の若者よ!目を覚まして必死に学んで鍛えて、世界にはばたけ!
○最後に世界で戦うための秘訣を君たちに教えよう。(だから俺の本を買え、俺のメルマガに登録しろ、俺のセミナーに出ろ。)
個人的にこういう思想を「グローバルマッチョ思想」と呼んでいるのですが、僕はこの手の主張が反吐が出るほど大嫌いです。なぜならこの手の主張は、テンションを上げるだけで自分の人生になんら本質的な価値を与えるものでもないし、もっと言えば「受験戦争にはグローバルマッチョ競争という続きがあるよ」と言って人間をスペック競争の型におしこめるような発想で、人間の多様性というものを暗に否定しているからです。
「東大スゲー」って言ってるノリで「ハーバードすげー」とか「イェールすげー」って言ってるだけなんすよね。ま~仮にハーバードが凄いのは認めるにしても、そもそも狭き門なんだから凄いのであって「じゃみんなハーバードに行こうぜ」という風に絶対にならないわけです。そうするとこんな主張をして儲かるのは、この手の本を出版したりセミナーを開催したりしている「ex-グローバルマッチョ」の方々だけなんですよね。ただ実際官庁にもハーバード出身なんて人は掃いて捨てるほどいましたけど、彼らの平均レベルが他の官僚に比べて突出して高いというわけでは決してなかったんですけどね。所詮基本スペックが高いってだけの話です。
で、僕がこの手の「グローバルマッチョ思想」が嫌いなのは、変に説得力があるし世の中に広まっているから将来の進路に悩む若者がこの手の思想に染まりやすいことなんですよね。「世界はすごい競争が起きてるんだ。オレも負けないように頑張らなくちゃ。英語学んで、留学して、○○コンサル入って、企業の戦略構築に携わって、少ししたら独立して、起業して、世界を飛び回って。。。。」なんてことを本気で考えるようになる。(こういうクソサイトのせいでねhttp://toyokeizai.net/category/global-money)でもね、いかに多くの学生がそういう方向を目指そうがそもそもそういう生き方が許される能力や資質や環境を持つ人間の数は圧倒的に限られているのであって、あえなく挫折するか、無謀な挑戦に挑んで時間や金を無駄に使う、多くはそういう結末につながってしまうわけです。。。。いわゆる「意識高い系病」の一種ですね。
こういうブログなんてやっているとそんな大学生の相談を受けることが多々あるんですけど、まぁみんなある意味まじめでこの「グローバルマッチョ思想」に洗脳されてしまった結果、壁にぶち当たって自分が何をしたいかわからなくなっているような感じです。
そういう人たちに僕がいつも言うのは「スペック競争はもうやめて、好きなことをやれ」っていうことなんですよ。基本的にグローバルマッチョ思想というのは、学歴や職歴みたいなピラミッドのすそ野が広い競争分野でNo1を目指すという単細胞な発想です。違う表現でいえばレッドオーシャンで競争が激しい分野でトップを争えというような思想です。そういうのは心底競争が好きな人に勝手にやらせとけばいいんです。そんなことより、(大半の)学生や20代の皆さんは、研究でも遊びでもなんだっていいから自分が好きなことに打ち込めばいいんですよ。自分という人間は言うまでもなくただ一人なのですから、そっちの方向を突き詰めれば競争の道から外れてオンリーワンとは言えないまでも心地よい環境で世の中に価値を提供できるような世界への道が開けるはずです。本当になんだっていいんですよ、飲み会のコールだって極めれば商売になるんですから。
www.youtube.com/watch?v=8ICfozssTTk
グローバルマッチョになんてならなくても、 商売ってのは自然にグローバルなんですよ。その辺の商店街の小さい店でイオンやジャスコに対抗する品揃えを考える、とかアマゾンに負けない本屋の仕組みを考える、とかいったことは十分グローバル土俵で戦っているってことなんですよ。グローバルであることとグローバルマッチョであることは全く違うことなんですよね。上に挙げた糞動画だってそれこそグローバルに世界中から無数にあげられる動画の中で勝ち抜いて20万だか30万だかのアクセス数を獲得して、関連DVDポンポン売ってるわけです。英語を学ぶとか留学するとかそんなことじゃなくて、「グローバルにつながっている市場と向き合う」という行為こそがグローバルなんです。別に一部の日本の電機企業が苦境に陥ったのは英語が喋れなかったからでも筋トレを怠ったからでもなんでもないんですよ。
そんなわけでいろいろ述べてきましたが、僕はグローバルマッチョ思想が大嫌い、という話でした。
ではでは今日はこんなところで。
編集部より:このブログは「うさみのりやのブログ」2013年8月25日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はうさみのりやのブログをご覧ください。