ネットのランキングサイト、利用してますか? いわゆる「口コミ」の情報をどれだけ信用するか、ということなんだが、たとえば値の張る家電を買うときには、Amazonのレビューなども参考にしつつ、実際に量販店へ出向き、値段と相談しつつ、実物を手に取り目にしてから量販店が安ければその場で買うし、ネットのほうが安かったら自宅へ帰ってPCで「ポチ」っとするでしょう。ようするに、自分の目で見て五感で感じてから判断するのが正しい。ネット上の情報だけを頼りにするのは愚かなことです。
個人的な話で恐縮なんだが、先日、奥歯がシクシクと痛み始め、触ってみるとヤバイことにグラグラしているのに気づきました。さっそく十数年ぶりに歯医者へ行こうと思い、ネット上の評判を調べてみました。ちょっと遠いがコヂンマリとした歯科医が「口コミ」で良さげだったので、まずはそこへ行った次第。しかし、自分の歯の症状と診療や診断、応対がどうもチグハグな印象を受けたわけです。自分の歯の状態を詳しく教えてもらった結果、自分なりの「直感」でその歯科医では処置が難しいんじゃないか、という結論に達しました。
帰宅してから再度、ネット上の情報を探ってみたところ「口コミ」などの具体的な評判は記載されていなかったんだが、自分なりに判断した症状の専門であるところの歯科医を見つけ、半信半疑でそこへ行ってみたんですね。結果的にはこれが良かった。最初の歯科医も腕もホスピタリティも悪くはないんだが、自分の症状の専門ではなさそうだったわけです。ただ、歯科医、という専門職としての知見はあったので、いろいろとヒントをもらうことができました。そこで自分なりに判断し、改めてネット上で情報をあたってみた。最初の歯科医からの話がなければ、自分で判断することは難しかったでしょう。
ネットのランキングサイトも百花繚乱だし、出現してから時間もたっているので、ユーザーもそれなりに使い方を熟知してきました。「口コミ」や採点などを、そのまま鵜呑みにするような人は少なくなっている。もちろん、そこに載っている情報はありがたくいただくんだが、玉石混交の中からどれだけ自分なりに有益な情報を取捨選択できるか、ということが「リテラシー」なんでしょう。一方、この記事に書いているように、せっせとレビューをアップする人たちもいます。彼らには彼らなりの「目的」があり、それは必ずしも読者に有益なものばかりとは限りません。特に食べ物系の評価は人それぞれ。行ったことのない店を探す場合、星の数や「口コミ」の内容で得られる情報はバイアスがかかっている、という前提で眺める余裕が欲しいもんです。
ログミー
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ベイエリアの変遷、ジュリアナ東京→タワーマンション→”東京オリンピック2020”まで
坂井直樹のデザインの深読み
芝浦の海側ってのは、レインボーブリッジができる前は港湾労働者の街でした。まだ元気だったころの日本航空の予約システムビルもあった。吉牛横の自販機前には、昼間から港湾労働者たちが車座に座り込んでワンカップ日本酒で酒盛りをしていたもんだし、芝浦祭りには日航の法被を着た地元の人が切り盛りしていた。すでにワンカップ自販機は撤去され、日航のビルもない。モノレール下の船溜まりも寂しくなった。一時期、博報堂の本社が移ってきてオシャレ集団が闊歩してたこともあったんだが、赤坂サカスへ行っちゃってもういません。今ではタワーマンションが立ち並んでいるんだが、藤原新也氏の『東京漂流』がごとく相変わらず生活感がまるで感じられない街です。
Amazon.comのジェフ・ベゾスCEOが、経営幹部に必ず読ませるビジネス書3冊
PRFREAK
日本でも有名な本ばかりです。米国人も同じものを読んでる、というより、米国人と同じものを日本人が読んでいる。この記事で紹介されている日本の実業家、三枝匡氏の三部作、米国人が読みたいと思うんでしょうか。アレは日本的な企業社会のストーリーで、米国人がシンパシーを感じるかはちょっとどうかわかりません。
「アバクロ」だけじゃない 企業が「美人」を採用する理由
キャリコネ
マヌカン(マネキン)というのは服飾店の店頭に置かれている人形でもあるんだが、もともとは販売促進する店員のことです。職業紹介に関する「職業安定法」において、マネキンはモデルとともに「専門的な商品知識及び宣伝技能を有し、店頭、展示会等において相対する顧客の購買意欲をそそり、販売の促進に資するために各種商品の説明、実演等の宣伝の業務(この業務に付随した販売の業務を含む。)を行う者」と規定されているらしい。これは「容姿」で採用の不可が決まることを考えている記事です。「枕営業」なんて言葉もあり、この世の中「蛇の道は蛇」「餅は餅屋」なんでしょうか。
yasuokaの日記: The Water Flows On, But The River Remains.
スラッシュドット・ジャパン
次期駐日大使に内定しているキャロライン・ケネディ氏が、演説の中で「The Water Flows On, But The River Remains.」と言ったんだが、これは「行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず」という鴨長明が鎌倉時代に書いた『方丈記』からの引用なんじゃないか、と考える人がほとんどでしょう。しかし、この記事によれば、1946(昭和21)年6月25日に帝国議会で第一次吉田茂内閣の金森徳次郎国務大臣の答弁から引いた、という説があるらしい。金森は、帝国憲法から日本国憲法へ改正する際に、国会で新憲法における天皇の役割を説明し、戦前の帝国憲法における「国体」と違わない、と草案の内容を答弁しました。今の憲法を「誰が作ったのか」というのは、今でも議論のあるところなんだが、もちろん当時の日本人の多くも深く関わっていた。金森は初代の国会図書館館長です。その国会図書館には「日本国憲法制定に関する談話録音」という資料があり、その中で日本人以外はフランク・リゾー大尉一人で、ほかはすべて日本人です。
アゴラ編集部:石田 雅彦