北朝鮮にマララさんが生まれるか --- 長谷川 良

アゴラ

今年のノーベル平和賞は化学兵器禁止機関(OPCW)が受賞したが、ブックメーカーや世界の専門家たちはパキスタンのマララ・ユスフザイさん(16)を有力候補と予想していたが、残念ながら当たらなかった。

マララさんは2012年10月9日、通学していた中学校からパキスタン・タリバン運動(TTP)のテロリストに頭部と首を銃撃され、重体となった。地元の病院で手当てした後、英国で手術を受けて奇跡的に回復した。TTPはマララさんが「親欧米派であり、教育を広げようとしていた」と非難声明を出している。その彼女は今年7月12日、国連総会で演説し、教育、特に女性の教育の重要性を訴え、世界に大きな感動を湧き起こしたばかりだ。


ここではマララさんが主張する教育、特に本の持つ価値について考えてみたい。オーストリア日刊紙プレッセに記事を寄稿したジャーナリスト、シルビレ・ハーマン女史は「強権の為政者たちが書籍を恐れる理由」という非常に興味深い記事を掲載していた。同記事の概要を紹介しながら、‘本の価値‘について再考した。

ナイジェリアではイスラム過激グループ「ボコ・ハラム」が教会襲撃を頻繁に起こしている。彼らは学校を襲撃し、教室を爆発し、教師を殺害する。同テログループは過去4年間で3600人以上を殺害したという。

ところで、「ボコ・ハラム」は「西洋の教育は罪」と日本では訳されているが、「ボコ」は英語のBookから由来し、本は不純だ」という意味だ。イスラム根本主義テロリストにとって、本は人々を間違った教えに誤導する悪というわけだ。だから、本を読む人間を恐れ、殺害する。

TTPが20歳にもいかない女性を襲撃して殺害しようとしたのはマララさんが「本の価値」を誰よりも知っていたからだろう。だから、彼らはマララさんを恐れたのだ。それほど、強権を駆使する為政者や独裁者にとって本は最大の敵というわけだ。マララさんは「本と鉛筆はあたしたちの最強の武器」と言い切っている。なお、タリバンが主導する結婚市場では、本を読める女性は読めない女性より価値のない存在と受け取られているという。

マララさんの国連演説は聞く者の心を揺さぶるが、現在の欧米社会に生きている者は、はるか昔の話を聞いているような感慨をもつかもしれない。数万冊が毎年、出版され、ブック・フェアでは多数の愛読家が殺到する時代だ。誰も本を読むことを恐れない。自由に選び、どこでも読むことができる社会だからだ。

もちろん、欧米社会でも本が危険として燃やされた時代があった。特に、ローマ・カトリック教会では約6000冊の危険な書籍リストが作成され、燃やされた。ちなみに、ハーマン女史は「教会ではハインリッヒ・ハイネ、エマニュエル・カントの書籍は危険と見なされたが、アドルフ・ヒトラーの『わが闘争』がリストに入ったことは一度もなかった」と述べている。バチカンは同リストを1965年に廃止している。

最後に、なぜ、独裁者や封建時代の君主たちは本を恐れるかをもう少し説明しよう。本を読むことで自分が知らない世界、人生に出会う機会となるからだ。それだけではない。思想や世界観に出会うかもしれない。彼ら(独裁者たち)は、臣下や国民が危険な本に触発され謀反を起こすのではないか、と恐れるのだ。

ここまで書いてくると、当方の脳裏に自然と北朝鮮のことが浮かんでくる。北の国民は本を読むことはできるが、故金日成主席や故金正日労働党総書記関連の著書だけだろう。ひょっとしたら、本をじっくりと読む時間もないかもしれない。金正恩第一書記が海外居住の同国外交官子弟の帰還を要請したのは、子弟たちが海外で読む本の内容を気にしているからだ。北にマララさんのような女性が出てくるだろうか。


編集部より:このブログは「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2013年10月19日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。