メディアは「神」について語れ --- 長谷川 良

アゴラ

当方は「誰がメディアに権力を与えたか」というコラムの最後に、「旧約聖書によると、天使長ルーシェル(蛇)はエバに『(エデンの園の中央の木の実を)取って食べるなと神はほんとうに言われたのですか』と囁き、エバはルーシェルの誘惑に負けて、神の戒めを忘れ、食べてしまう。嘘情報をエバに広げた最初のメディアはルーシェルだったわけだ。われわれメディア関係者はルーシェルの嘘情報に騙されないように常に自省すべきだろう」と書いた。失楽園の話だが、少々、端折って書いたのでその内容が意味不明になってしまったと感じている。そこで今回、少し説明する。


ルーシェルは人類最初の女性、エバを誘惑する。その際、、ルーシェルは神の言葉を巧みに利用する。「神はエデンの園にあるどの木からも取って食べるなといわれたのですか」とエバに聞く。エバは「中央の木の実だけは取って食べるな。死んではいけないから、といわれました」と答えた。すると、ルーシェルは「あなた方は決して死ぬことはないでしょう。神は、その実を食べれば神のように善悪を知る者になることをご存知です」と囁く。

神は自身の似姿に創造した人間に対し、「生み、増やしなさい」と祝福している。エバとアダムが将来、家庭を築き、子供を繁殖すること願われていたことが分かる。だから、エバとアダムは成熟すれば取って食べて良かったわけだ。その点、ルーシェルの囁きは嘘ではない。しかし、神は「食べるな。食べれば死ぬだろう」と警告している。一方、ルーシェルは「食べても死なず、むしろ、目が開き、善悪を知る者になる」と呟き、神が許してない時に食べろと勧めたわけだ、これは明らかに嘘だ。実際、食べたエバ、そしてアダムは、聖書学的に表現すれば、堕落したわけだ。堕落は死を意味する(「食べる」とは、聖書の世界では性的関係を持つことを意味する表現)。

繰り返すが、人類最初のメディアの使命を持ったルーシェルはまったく出鱈目な話を伝えたわけではないのだ。独語ではHalbwahrheitという。半分正しいという意味だ。知恵の天使だったルーシェルはどこかのメディアのように出鱈目な話を広げ、拡大したのではない。真理の半分を語り、相手を騙したのだ。

さて、現代のメディア界を見渡してほしい。当方の同業者は誰が見ても直ぐに嘘と分かるような情報は流さない。多くは‘半分の真理‘を読者に伝達するのだ。だから、多忙で、自身で検証する時間のない大多数の読者はついつい騙される。メディア界にはルーシェルの教え子たちが少なくないのだ。

付け加えると、メディアは神の話を可能な限り回避しようとする。神を含め宗教一般について生来、懐疑的であり、出来れば無視しようと腐心する。あたかも、神が登場すれば、半分の真理しか報道していない自身の罪状が暴露されるのではないか、と恐れるようにだ。ルーシェルは自身の罪状が公の場で明らかになることをあらゆる手段を駆使して隠す。

神が存在するかどうか、メディアも時たま、話題にするが、「悪魔」が存在するかは議論されることはほとんどない。聖書には約300回、「悪魔」の存在が言及されている。にもかかわらず、私たちは「悪魔」の存在については無頓着だ。「悪魔」といえば、全くのおとぎ話のように受け取る人々が多いだろう。その点をみても、ルーシェルがいかに知恵者か分かるというものだ。

最後に、メディア関係者にとって耳の痛い話を紹介し、このコラムを閉じる。

米ミュージシャン、カート・コバーン(kurt Cobain)は1994年4月5日、銃で自殺したが、それ以後、“急いで生き、激しく愛し、若くして死んだ”ミュージシャンたちのグループを“クラブ「27」”と呼ぶ。その伝説を生み出したコバーンは生前、「ジャーナリストは最も尊敬に値しない存在だ」と述べていた。厳しい言葉だが、肝に銘じるべき警告だ。


編集部より:このブログは「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2013年10月24日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。